その「存在」に気付けるか? ― 2025/05/15
そこに確実に「存在している」のに、
それにまったく気が付かない。
↑
こういうことって案外多い。
そこに「ある」ものを、
まるで「ない」かのように過ごしている。
もしくは、
「あぁ、あるね」と認識はしているものの、
きちんと把握しているか?と言ったら、
実に曖昧だったり…。
これは脳がもつフィルター的な機能が
働いているために起こる現象。
普段、私たちは物に囲まれ、
音に囲まれ生きています。
目を開ければあらゆる物が視界に入り、
会話、BGM、電子音、風の音まで、
周囲の音も勝手に聞こえてきます。
脳が、その膨大な情報のすべてを
瞬時に処理するのは不可能なため、
「これは必要、不必要」と
自動的にフィルターにかけて
振り分けてくれているんですね。
知りたい情報が目に留まりやすくなる
「カラーバス効果」や
特定の音や言葉などを
選択して拾い上げ聞きとれる
「カクテルパーティー効果」は
脳が起こす現象として有名なので、
ご存じの方も多いかと思います。
私達が脳をパンクさせることなく、
日常生活を送れているのは、
この機能があるおかげ。
脳みそ、すごい!ヽ(゚∀゚)ノ
***
先日、里山を自然散策してきました。
春風が心地良い絶好の散歩日和。
時折、設置されている「熊よけの鐘」を
カーーーーン!!と鳴らすと、
豪快な鐘の音が響き渡る。
でも、その音以外は本当に静か。
里山に咲く花々を見ながら、
「何か生き物いないかな~♪」と
山道を登っていると、
たまに足もとで、自分のものとは違う、
カサ…という音がすることに気付いた私。
「ん?何かがいる!」
立ち止まり目を凝らすと、
そこには慌てて逃げいくカナヘビさんが。
日向ぼっこの邪魔してごめんね。
爬虫類も大好きな私としては、
この出会いだけで幸せ気分~。(*´ω`*)
アチコチで野鳥も囀っています。
自宅周辺では聞くことがない
ホオジロやヤマガラ。
相変わらず賑やかなガビチョウもいるし、
コゲラもギィーと鳴いています。
鳴き声がするほうの木々に目を凝らすと、
次々に確認できるその可愛らしい姿。
そんな中、一瞬わずかに聞こえた
「ピョー」という音。
「いる!!アオゲラ!」と大興奮。
しばらく音に集中しながら歩いていると、
だんだんと鳴き声が近づいてきて、
その姿を見つけることができました♪
くすんだ緑色の背中&翼で、
頭に赤いベレー帽をかぶった
30cmくらいの大きさのキツツキです。
出会えると嬉しい大好きな鳥の1つ。
同じ瞬間に同じ里山を散歩していても、
生き物に対して興味がなく、
まったく意識していなかったら、
カナヘビもアオゲラも、
見つけることはないのだと思います。
足元のカサ…という音も、
遠くで聞こえた鳥の鳴き声も
脳が「その音は必要ではない」と
判断すれば、その結果、
耳には届いていてもそれは聞こえないし、
自分の目でその姿を捉えることもなく、
その存在は確実にそこに「ある」のに、
認識されないまま、
「なかったこと」になるわけですね。
***
同じようなことが
ピアノの演奏中にも起きています。
楽譜通り弾いているんだから、
正しく演奏できているはず。
うん、音楽になっているよね?
よし、弾けた。これでOK!
…と思ってしまいがちですが、
どうでしょう?
果たして、深いところまで
音(音楽)を認識できているでしょうか?
実は、演奏時にも脳みそは自動的に
フィルター機能を使っています。
聴こえやすい一番上のメロディを
「この音は重要」と、無意識に選別して
聴いていたりするのです。
もしかしたら、そのすぐ下の内声にも、
まったく別の美しい旋律が
流れているかもしれないのに、です。
その存在に気付き、
意識してそれを聴こうとしないと
脳はメロディとして認識してくれません。
つまり、打鍵は正しくおこなっているので、
「音」としては鳴っているし、
聞こえているはずなのに、
認識はできない(聴こえていない)、
という現象が起こるわけですね。
楽譜通りに音を鳴らせられれば、
その状態を人によっては、
「弾けた」と言ってしまうのかもしれません。
しかし、演奏している本人が、
主旋律の下に隠れている別のメロディや、
曲の流れを引っ張るバス(ベース)の流れ、
支えてくれている和音の変化などに
まったく気が付かず、
音楽として聴けて(捉えて)いなかったら、
それら特定の音を際立たせたり、
美しく表現することなんて
できるはずがありません。
「奥深さ感じる演奏」
「情景が浮かぶような演奏」
と言われるような
表現力豊かな演奏を目指すには、
”存在している音への深い認識”が
欠かせないのです。
難しいことのように思えるでしょうが、
大事なのは、まず、
自分の「認識の範囲」を
意図的に広げてみること。
普段、練習で弾いている時に、
自然と聴いて(聴けて)いる音の他にも、
実は多くの大切な音が存在しています。
それらが和音を構成したり、
連なって旋律として流れているわけです。
そのことに気が付き、
意識的にそれを聴こうとすること、です!
たったこれだけで、表面的な演奏から
一歩脱することができます。
大丈夫!(゚∀゚)ノ
「ほら、ここにもメロディがいますよー」とか
「この音の存在に気付いてますか?」とか、
私もレッスンで伝えますから、
そのパートだけを抜き出して
歌ってみたり、弾いてみたりしてください。
その存在が一気に浮かび上がり、
今までと違って聴こえてきますよ。
たったこれだけで、
音楽が一層味わい深いものになります。
そして、それは少なからず
演奏にも反映されるから不思議です。
そんな風に考えると、
「人生も、音楽も、一緒だなぁ~」
なんてしみじみ思う今日この頃。
(え?飛躍しすぎだって?笑)
普段、そこにあるのに
気にも留めていないその「存在」に
どれだけ多く気が付くことができるか。
そして、それに感謝したり、
味わったり、楽しんだり…。
そこにある、その存在に気付いて、
意識を向けるようにするだけで、
認識できるようになる。
これが人生や音楽を
豊かにする秘訣なんですね、きっと♪
それにまったく気が付かない。
↑
こういうことって案外多い。
そこに「ある」ものを、
まるで「ない」かのように過ごしている。
もしくは、
「あぁ、あるね」と認識はしているものの、
きちんと把握しているか?と言ったら、
実に曖昧だったり…。
これは脳がもつフィルター的な機能が
働いているために起こる現象。
普段、私たちは物に囲まれ、
音に囲まれ生きています。
目を開ければあらゆる物が視界に入り、
会話、BGM、電子音、風の音まで、
周囲の音も勝手に聞こえてきます。
脳が、その膨大な情報のすべてを
瞬時に処理するのは不可能なため、
「これは必要、不必要」と
自動的にフィルターにかけて
振り分けてくれているんですね。
知りたい情報が目に留まりやすくなる
「カラーバス効果」や
特定の音や言葉などを
選択して拾い上げ聞きとれる
「カクテルパーティー効果」は
脳が起こす現象として有名なので、
ご存じの方も多いかと思います。
私達が脳をパンクさせることなく、
日常生活を送れているのは、
この機能があるおかげ。
脳みそ、すごい!ヽ(゚∀゚)ノ
***
先日、里山を自然散策してきました。
春風が心地良い絶好の散歩日和。
時折、設置されている「熊よけの鐘」を
カーーーーン!!と鳴らすと、
豪快な鐘の音が響き渡る。
でも、その音以外は本当に静か。
里山に咲く花々を見ながら、
「何か生き物いないかな~♪」と
山道を登っていると、
たまに足もとで、自分のものとは違う、
カサ…という音がすることに気付いた私。
「ん?何かがいる!」
立ち止まり目を凝らすと、
そこには慌てて逃げいくカナヘビさんが。
日向ぼっこの邪魔してごめんね。
爬虫類も大好きな私としては、
この出会いだけで幸せ気分~。(*´ω`*)
アチコチで野鳥も囀っています。
自宅周辺では聞くことがない
ホオジロやヤマガラ。
相変わらず賑やかなガビチョウもいるし、
コゲラもギィーと鳴いています。
鳴き声がするほうの木々に目を凝らすと、
次々に確認できるその可愛らしい姿。
そんな中、一瞬わずかに聞こえた
「ピョー」という音。
「いる!!アオゲラ!」と大興奮。
しばらく音に集中しながら歩いていると、
だんだんと鳴き声が近づいてきて、
その姿を見つけることができました♪
くすんだ緑色の背中&翼で、
頭に赤いベレー帽をかぶった
30cmくらいの大きさのキツツキです。
出会えると嬉しい大好きな鳥の1つ。
同じ瞬間に同じ里山を散歩していても、
生き物に対して興味がなく、
まったく意識していなかったら、
カナヘビもアオゲラも、
見つけることはないのだと思います。
足元のカサ…という音も、
遠くで聞こえた鳥の鳴き声も
脳が「その音は必要ではない」と
判断すれば、その結果、
耳には届いていてもそれは聞こえないし、
自分の目でその姿を捉えることもなく、
その存在は確実にそこに「ある」のに、
認識されないまま、
「なかったこと」になるわけですね。
***
同じようなことが
ピアノの演奏中にも起きています。
楽譜通り弾いているんだから、
正しく演奏できているはず。
うん、音楽になっているよね?
よし、弾けた。これでOK!
…と思ってしまいがちですが、
どうでしょう?
果たして、深いところまで
音(音楽)を認識できているでしょうか?
実は、演奏時にも脳みそは自動的に
フィルター機能を使っています。
聴こえやすい一番上のメロディを
「この音は重要」と、無意識に選別して
聴いていたりするのです。
もしかしたら、そのすぐ下の内声にも、
まったく別の美しい旋律が
流れているかもしれないのに、です。
その存在に気付き、
意識してそれを聴こうとしないと
脳はメロディとして認識してくれません。
つまり、打鍵は正しくおこなっているので、
「音」としては鳴っているし、
聞こえているはずなのに、
認識はできない(聴こえていない)、
という現象が起こるわけですね。
楽譜通りに音を鳴らせられれば、
その状態を人によっては、
「弾けた」と言ってしまうのかもしれません。
しかし、演奏している本人が、
主旋律の下に隠れている別のメロディや、
曲の流れを引っ張るバス(ベース)の流れ、
支えてくれている和音の変化などに
まったく気が付かず、
音楽として聴けて(捉えて)いなかったら、
それら特定の音を際立たせたり、
美しく表現することなんて
できるはずがありません。
「奥深さ感じる演奏」
「情景が浮かぶような演奏」
と言われるような
表現力豊かな演奏を目指すには、
”存在している音への深い認識”が
欠かせないのです。
難しいことのように思えるでしょうが、
大事なのは、まず、
自分の「認識の範囲」を
意図的に広げてみること。
普段、練習で弾いている時に、
自然と聴いて(聴けて)いる音の他にも、
実は多くの大切な音が存在しています。
それらが和音を構成したり、
連なって旋律として流れているわけです。
そのことに気が付き、
意識的にそれを聴こうとすること、です!
たったこれだけで、表面的な演奏から
一歩脱することができます。
大丈夫!(゚∀゚)ノ
「ほら、ここにもメロディがいますよー」とか
「この音の存在に気付いてますか?」とか、
私もレッスンで伝えますから、
そのパートだけを抜き出して
歌ってみたり、弾いてみたりしてください。
その存在が一気に浮かび上がり、
今までと違って聴こえてきますよ。
たったこれだけで、
音楽が一層味わい深いものになります。
そして、それは少なからず
演奏にも反映されるから不思議です。
そんな風に考えると、
「人生も、音楽も、一緒だなぁ~」
なんてしみじみ思う今日この頃。
(え?飛躍しすぎだって?笑)
普段、そこにあるのに
気にも留めていないその「存在」に
どれだけ多く気が付くことができるか。
そして、それに感謝したり、
味わったり、楽しんだり…。
そこにある、その存在に気付いて、
意識を向けるようにするだけで、
認識できるようになる。
これが人生や音楽を
豊かにする秘訣なんですね、きっと♪
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