『雨だれ』でお別れを ― 2021/06/02
先日、義父が亡くなった。
92歳だった。
義母が亡くなってからの6年間、
趣味の健康麻雀を楽しみつつ、
気の合う仲間にも恵まれ、
周りの方々にサポートしてもらいながら
今年1月まで仙台の実家に1人で暮らし、
その生涯を静かに終えた。
***
結婚して25年になる私だけど、
6年前に義母が亡くなるまで
会話と言えば義母とするばかりで、
ほとんど義父と話したことはなかった。
2人に会話を振っても
お義母さんが答えてくれるので
それで済んでいたのだ。
だから、ずっと
「お父さんって無口な人なんだな~」と
思っていた。
…が、今思えば、
義父は「無口」なわけではなく、
調子のよいことや余計なことは喋らず、
自分から色々と口出しはしない、という
タイプの人だったのだと思う。
義母が亡くなったことを機に
86歳にして初めて携帯電話を購入。
メールに挑戦。
文字の打ち方などの操作方法を教え、
以来、毎日私とメールをするようになった。
私はそれを『お父さん通信』と呼んだ。
内容は特にない。
今日は〇〇を食べた、とか、
役満であがって成績が1番だった、とか
楽天イーグルスが勝ってる!とか。
そんな感じのメール。
それに返信するのが私の日課となった。
時折、私のほうから何かを質問すると、
更に詳しく長文で返してくれることもあった。
この6年間、
そんなメールをほぼ毎日やりとりした。
そして、数ヶ月に1度は仙台に帰省した。
そんなことを繰り返しているうちに、
2人とも音楽好きなこともあり、
義父と私の共通の話題ができ、
興味ある物事が何なのかもわかり、
会話が増え、心の距離がぐーんと縮まった。
「夫の無口なお義父さん」
だったのが、いつの間にか
「色々と教えてくれる私のお父さん」
になっていた。
***
「よく、kikkiさんとのメールを
嬉しそうに見せてくれたのよ」
「お嫁さんとのメールのやり取りを
楽しみにしているようでした」
義父が亡くなり、
各方面の方々に挨拶をしていると、
親戚、近所の方、介護スタッフの方など、
何人もの人からこんな言葉をかけて頂いた。
義父から直接「メールが楽しみだ」なんて
言われたことは1度もなかったし、
送られてくる『お父さん通信』は、
どうかすると「今日は何も書くこと無し」と
安否確認の文のみの日もあり、
返信に頭を悩ますこともあったので、
まさか私からのメールを楽しみにして
喜んでくれているとは思っていなかった。
普段、東京にいて何も手助けできず、
時々、顔を見せに帰っても
一緒に食事をしてお喋りをする程度で
何もしてあげられないことを、
ずっと申し訳なく、心苦しく思ってきた私。
だけど、こんな私からのメールでも、
少しは義父の心を明るくしたり、
楽しい気分にすることができていたのだ。
皆の言葉を聞いて救われる思いがした。
そして、私はこの6年で
義父と心のつながりを持てたんだなぁ、と
嬉しい気持ちにもなった。
***
20年程前になる。
まだ義父が70代だった頃。
「私が死んだ時には
ショパンの『雨だれ』を流してほしい」
と言っていたのをふと思い出した。
これからしばらく、ピアノに向かうたび、
お義父さんを想って『雨だれ』を弾こう。
間違えたら、ごめんね。
でも、お義父さんなら
途中で音をミスしても
穏やかに笑って許してくれるよね。
どうぞ安らかに…。
***
4月、5月と立て続けに色々なことがあり、
レッスンの変更、キャンセルが相次ぎ、
生徒の皆様には
ご迷惑ご心配をおかけいたしました。
ご理解とご協力に心より感謝申し上げます。
92歳だった。
義母が亡くなってからの6年間、
趣味の健康麻雀を楽しみつつ、
気の合う仲間にも恵まれ、
周りの方々にサポートしてもらいながら
今年1月まで仙台の実家に1人で暮らし、
その生涯を静かに終えた。
***
結婚して25年になる私だけど、
6年前に義母が亡くなるまで
会話と言えば義母とするばかりで、
ほとんど義父と話したことはなかった。
2人に会話を振っても
お義母さんが答えてくれるので
それで済んでいたのだ。
だから、ずっと
「お父さんって無口な人なんだな~」と
思っていた。
…が、今思えば、
義父は「無口」なわけではなく、
調子のよいことや余計なことは喋らず、
自分から色々と口出しはしない、という
タイプの人だったのだと思う。
義母が亡くなったことを機に
86歳にして初めて携帯電話を購入。
メールに挑戦。
文字の打ち方などの操作方法を教え、
以来、毎日私とメールをするようになった。
私はそれを『お父さん通信』と呼んだ。
内容は特にない。
今日は〇〇を食べた、とか、
役満であがって成績が1番だった、とか
楽天イーグルスが勝ってる!とか。
そんな感じのメール。
それに返信するのが私の日課となった。
時折、私のほうから何かを質問すると、
更に詳しく長文で返してくれることもあった。
この6年間、
そんなメールをほぼ毎日やりとりした。
そして、数ヶ月に1度は仙台に帰省した。
そんなことを繰り返しているうちに、
2人とも音楽好きなこともあり、
義父と私の共通の話題ができ、
興味ある物事が何なのかもわかり、
会話が増え、心の距離がぐーんと縮まった。
「夫の無口なお義父さん」
だったのが、いつの間にか
「色々と教えてくれる私のお父さん」
になっていた。
***
「よく、kikkiさんとのメールを
嬉しそうに見せてくれたのよ」
「お嫁さんとのメールのやり取りを
楽しみにしているようでした」
義父が亡くなり、
各方面の方々に挨拶をしていると、
親戚、近所の方、介護スタッフの方など、
何人もの人からこんな言葉をかけて頂いた。
義父から直接「メールが楽しみだ」なんて
言われたことは1度もなかったし、
送られてくる『お父さん通信』は、
どうかすると「今日は何も書くこと無し」と
安否確認の文のみの日もあり、
返信に頭を悩ますこともあったので、
まさか私からのメールを楽しみにして
喜んでくれているとは思っていなかった。
普段、東京にいて何も手助けできず、
時々、顔を見せに帰っても
一緒に食事をしてお喋りをする程度で
何もしてあげられないことを、
ずっと申し訳なく、心苦しく思ってきた私。
だけど、こんな私からのメールでも、
少しは義父の心を明るくしたり、
楽しい気分にすることができていたのだ。
皆の言葉を聞いて救われる思いがした。
そして、私はこの6年で
義父と心のつながりを持てたんだなぁ、と
嬉しい気持ちにもなった。
***
20年程前になる。
まだ義父が70代だった頃。
「私が死んだ時には
ショパンの『雨だれ』を流してほしい」
と言っていたのをふと思い出した。
これからしばらく、ピアノに向かうたび、
お義父さんを想って『雨だれ』を弾こう。
間違えたら、ごめんね。
でも、お義父さんなら
途中で音をミスしても
穏やかに笑って許してくれるよね。
どうぞ安らかに…。
***
4月、5月と立て続けに色々なことがあり、
レッスンの変更、キャンセルが相次ぎ、
生徒の皆様には
ご迷惑ご心配をおかけいたしました。
ご理解とご協力に心より感謝申し上げます。