デスコ、デズニー、デーマイナー2020/10/09

ジャズを1段譜(メロ譜)で弾いたり、
アレンジを勉強する場合、
必要になるのが「コード」の知識。

そう。
5線の上のほうに書いてる
アルファベットの文字のやつです。
普段、クラシックを弾いている人には
あまり馴染みがないかもしれないけれど、
ポップスの譜面には記してあることも多いし
見たことくらいはあるでしょう。
「C」とか「G7」とか書いてあるアレ、ね。

コードの知識を必要とするレッスンでは、
その成り立ち(構成音)や
コードの持つ機能(役割)、
ヴォイシング(おさえ方)などを教え、
それらを理解してもらって
弾ける(使える)ようにしていくのですが、
その際、私が横から口頭で、
「じゃぁ、次、F7(エフセブン)弾いてみて~」
とか、言うわけですよ。

で。
たびたび出てくる「D」。

これ、私、「デー」と言ってます。
ディー、じゃなくて、デー。
だから「Dm」の時は
もちろんデーマイナー。

こう発音するのには理由があって、
学習者の混乱を減らすためなんです。
コードを勉強しはじめた人は
みんな最初は頭フル回転で必死。
半分パニックみたいな状況の中、
横から「ディーマイナー(Dm)」と言われても
聞き間違えて
「イーマイナー(Em)」や
「ビーマイナー(Bm)」を
おさえてしまうことって結構あるんです。
「違う、違う、イーじゃなくてディーだよ」
と言っても、アルファベットを
聞き間違えているとはわからず
コードの構成音を間違えたのかと、
余計に混乱してしまったり…。

そんなこともありレッスンでは、
わざと「D」を「デー」と発音しています。

でも、これまで、この理由について
コードの学習者に伝えたことは
ほとんど無かったような…。

…ハッ!(゚д゚)!

ということは、もしかして、
  「うわっ。先生、ディーマイナーを
  デーマイナーって言ってる。ププッ」
とか思われていたりして??(汗)

フォークをホークと言い、
ティーシャツをテーシャツと言い、
ディズニーをデズニーと言う
母の元で育った私ではありますが、
ディーマイナーを「デーマイナー」と
自然に言っているわけではありません~。

そんなわけで今回は、
私の「デー」の発音を
ニヤニヤしながら聞いていた方
(…いるのか??いないことを祈る!)
に向けての記事でした。(笑)

「耳から入ること」の曖昧さ2020/10/30

小さい頃、台風一過を
台風「一家」だと思っていた。
台風の家族がやってきて、
暴風雨を伴い大暴れして去っていく。
私の中ではそんなイメージだった
「台風一家」。

無知でまっさらな幼少期の子供は
耳から入った情報を
勝手なイメージで解釈してしまったり、
知っている言葉に置き換えてしまったり、
変なところで区切って覚えてしまったり、
そんな「覚え間違い」をたびたびする。

それは音楽でもよくあること。
『赤い靴』の歌詞の「異人さん」を
「いいじいさん」と歌っていたり、ね。(笑)
その現象は歌詞だけに限らず、
リズムや拍子を間違って覚えていたり、
あいまいに記憶していることも…。

例えば、
『赤とんぼ』 と 『朧月夜』。
どちらも3拍子の曲だけど、
『赤とんぼ』の方は
♪ゆうや~け の出だしの
「ゆう」から1拍目が始まる3拍子。
それに対して、『朧月夜』の方は、
♪なのは~な の出だしの
「なの」はアウフタクトなので3拍目。
1拍目は花の「は」の字のところになるのだ。

しかし、どちらの曲も
出だしのリズムの組み合わせが
まったく同じなので、
『朧月夜』の方も、同じ感覚で
1拍目から歌い始めてしまいがち。

子供の頃に覚えた曲は
言葉の意味も、拍子の感覚も
なぜそうなるのか?の理屈もわからず
「感覚的に丸覚え」状態のものが多い。
楽譜が読めるようになった今、
改めてその曲の譜面を見ると、
自分の誤認が発覚したり、
びっくりすることも少なくない。

子供は知識量・情報量が少ないので
正しいかどうかの判断がつかず
様々な場面で頻繁に
誤認が起きているというだけで、
実は、この現象は
大人の私達にも起こっている。

今は、Youtubeなどで検索すれば
すぐに楽曲が聴けてしまうので、
譜読みなどを始める前に
「まずはどんな曲か聴いてみよう♪」
という人も多いと思います。
また、すでに曲を知っていて
「以前やったあの曲をもう1度弾こう」
「大好きなあの曲を弾いてみたい」
という方もいらっしゃいますよね。
つまり、音楽が耳に馴染んでから
ピアノに取り掛かるケース。

本来、
クラシックの「ピアノ演奏」というものは、
作曲者が書き残した楽譜を元に
弾き手によってその楽曲が再現され、
そのうえで弾き手が持つニュアンス
(音の扱い方、間合いの取り方など)が
”表現力”として曲にプラスされて
最終的な形となっている。

ところが、耳から入るとなると、
あらかじめ「最終形」を知ったうえで
曲に取り組むことになるので、
最初からその「最終形」をなぞりがち。
楽譜を開いているにもかかわらず
実際にはオタマジャクシを読んでおらず
先に耳で知っていたリズムを
雰囲気で弾いているだけだったり、
何となく記憶しているメロディーを
自分が知っているように弾いてしまう、
なんてことが起きていたりするのだ。

つまり、表面上はそれっぽいけれど
実は楽譜を無視していて
間違ったことを弾いている場合がある、
ということ。

こんなに残念なものはない。
まさに”赤い靴現象”。
本当は「異人さん」が正しいのに
「いいじいさん」だと信じ切って、
何も疑わずに弾けた気になって
気持ち良さ気に奏でている、
ということになるんだもの。(;´Д`)
そう考えると
ちょっと恥ずかしくなりますよね。

便利な世の中になり、多くの曲を
気軽に知ることができるようになりました。
効率よく練習を進めるためにも
耳から入ることを否定はしません。
でも、曲に取りかかる際には
しっかり楽譜と向き合いましょう。

楽曲は作品です。
そこには作曲者の想いが詰まっています。
楽譜は、その作品が
正しく再現されるように書かれた
いわば大事な説明書、解説書です。
何となく耳で知ってるものを弾く、ではなく、
譜面を理解して中身をわかって弾く、を
心掛けるべし!!

あ、ちなみに。子供の頃、
「いいじいさん」と思っていたのは夫。
私は「ひい爺さん」だと思っていました。
プププ…(*´m`*)