上達しているのに下手になった ― 2024/07/01
今日のブログは、交流会での
自分自身の演奏の振り返り。
頭の中を整理整頓するための
独り言に近いので、特に意味はなし。
心配無用です。お気遣いなく~。(;´Д`)
***
・自分にとってレベル的に
無理のない曲を選んでいる
・質の良い練習をしっかりと重ね、
自分自身で納得ができていた
・自分の演奏に自信も持てていた
・白紙状態から五線に楽譜が書けるくらい
みっちり細やかに暗譜もおこなった
・緊張対策は「これでもか!」というくらい
例年以上に念入りにおこなっていた
…で、あの演奏。あのザマ。
どうした?私。
何がどうなったのか?まったく不明。
弾いていて、とにかく頭が回らず。
集中できず。
緊張のせい?
うーん。確かに緊張はしていた。
でも、決して悪い緊張感ではなかった。
おととしの交流会の講師演奏で、
緊張のあまり酸欠&過呼吸で
顔面蒼白になりながら
クラクラ&フラフラで弾いた時より、
よっぽど落ち着いていた。
重心は低く保てていたし、
指の上滑り感もないし、震えもなかった。
なのに、なんだろう?
とにかく、まったく集中できず。
これは、一体どういうことか?
唯一思い当たるのは、
緊張対策として交流会の1ヶ月前から
たびたび足を運んでいたストリートピアノ。
毎回、口から心臓が出そうなくらい
ガチガチに緊張しながら弾いて、
でも修行(?)の回数を重ねるうちに
落ち着いて弾くための糸口を見つけ出し、
少しずつ「できる」を積み重ね、
そして…、
交流会の10日くらい前の段階では、
自分でも「よっしゃ!!」と思える
納得のイイ演奏ができるようになっていた。
で…
それが最後になってしまったような…?
うぅーーーーん。(-_-;) これって、
・そこが頂点になってしまった
・その状態がキープできなかった
ということなのか??
むむむー。謎。
今回のようなことはまったく経験がなく、
自分でも何が起こったのか?
イマイチわからない。
***
今は、
『上達しているのに、下手になった』
こんな感じ。複雑な気分。
というのも、恥ずかしながら
私のピアノ人生、
~20歳までは超テキトー。(遊び)
20~30歳までは「仕事」として、
過不足なく卒なくこなし、
30~40歳までは音楽の幅を広げ冒険。
「ピアノが大好き」な気持ちは、
幼少時代から変わっていないけど、
どちらかというと、
気の向くまま好き勝手に
ピアノと接してきたって感じ。
そして今、40歳~現在。
ようやく”本気”を出して
ピアノと向き合っている。
北海道から帰ってきて、
ピアノ教室を再開してからのこの10年、
生まれ変わるくらいのつもりで、
ピアノに関連すること
(奏法、指導、理論、心理、身体など)を、
本気で練習し、勉強し、取り組んできた。
その結果、
自分で言うのもなんだけれど、
「私はまだ上達している」と感じられている。
もちろん、スタートが低かったので、
「伸びしろがまだ余ってる」とも
言えなくはないけど。(汗)
『継続は力なり』を合言葉に、
自分なりに10年続けた結果、
「上達した」という実感を得ているのだ。
苦労した曲が弾けるようになり、
到底無理と思っていた曲に手が届き、
長時間弾くと痛くなりがちだった手が
いくら弾いてもまったく痛くなくなり、
格段に音のグラデーョンが豊かになり、
技術、表現、音色、知識、精神…
あらゆる面で、
音楽の幅が広がったのは明らか!
なのに、あのザマ。
講師演奏をまともに1曲、
弾ききれなかった。
あれほどやって満足に弾けないって、
一体どういうこと?
集中できないって何?
はぁ?(゚д゚)?
ってのが今の率直な気持ち。
学生の頃、ピアノの実技試験なんて、
今の10分の1も頑張らなかった。
20代の頃の講師演奏なんて、
「ま、形が整っていればOKでしょ」
程度にしか考えていなかった。
曲に対する想いも、取り組んだ時間も、
勉強する深さも、最終的な仕上がりも、
今に比べたら笑っちゃうくらい
チャランポランだった。
弾くのに不安で怖い箇所などは
「いかに誤魔化すか」を考え、
そのための練習をしたくらいだ。
なのに、
あの当時はそれをサラリと弾いて、
緊張したとしても何とか形にしていた。
謎。
上達しているのに下手じゃん、
今の自分。
「落ち込んでる」「悔しい」とかじゃない。
とにかく不思議。で、自分に呆れてる。
怒りにも似た感情。
「あんなにやったのに。もう知らん!!」
って感じ。投げやり。(笑)
コロナ前の講師演奏、ナザレーや
「大洋のエチュード」をピークに、あれ以降、
人前での演奏が超不安定極まりない。
交流会を外で開催するようになり、
不慣れな会場で「会」を成立させるために、
当日に、セッティング・司会進行しつつ、
皆の演奏を見守り、写真撮影など、
私にとって、精神的・肉体的な負担が
大きすぎるんだろうか??
(無自覚だけど)
交流会後、家で夫に、
ブツクサとこのことを話していると、
「えー!あんなに弾けてたのにー!?」と、
気の毒がられた後に、ひと言、
「老化ってことも無くはないんじゃない?」
と言われた。
えーっと。
無くはない…
つまり、「ある」ってことか?(苦笑)
そうか。
老化ねぇ。
そうなのかもしれない。
何だか、急に気持ちが萎えた。(笑)
***
そんなわけで、
「私はまだ上達している」
という感覚が妄想ではないと信じ、
老化に抵抗しながら、
引き続きピアノ道に精進いたします!
せっかくハゲもストップし、生えに転じ、
カツラ生活もようやく脱したわけだし、
(まだまだ無毛地帯だらけなんだけどね)
これ以上、気に病むのはやめよう。
多めにお休みを頂いた7月。
のんびり作曲でもして、楽しもうっと♪
※
交流会に参加された方は、
7月レッスン時にアンケートの提出を
忘れずにお願いいたします。
自分自身の演奏の振り返り。
頭の中を整理整頓するための
独り言に近いので、特に意味はなし。
心配無用です。お気遣いなく~。(;´Д`)
***
・自分にとってレベル的に
無理のない曲を選んでいる
・質の良い練習をしっかりと重ね、
自分自身で納得ができていた
・自分の演奏に自信も持てていた
・白紙状態から五線に楽譜が書けるくらい
みっちり細やかに暗譜もおこなった
・緊張対策は「これでもか!」というくらい
例年以上に念入りにおこなっていた
…で、あの演奏。あのザマ。
どうした?私。
何がどうなったのか?まったく不明。
弾いていて、とにかく頭が回らず。
集中できず。
緊張のせい?
うーん。確かに緊張はしていた。
でも、決して悪い緊張感ではなかった。
おととしの交流会の講師演奏で、
緊張のあまり酸欠&過呼吸で
顔面蒼白になりながら
クラクラ&フラフラで弾いた時より、
よっぽど落ち着いていた。
重心は低く保てていたし、
指の上滑り感もないし、震えもなかった。
なのに、なんだろう?
とにかく、まったく集中できず。
これは、一体どういうことか?
唯一思い当たるのは、
緊張対策として交流会の1ヶ月前から
たびたび足を運んでいたストリートピアノ。
毎回、口から心臓が出そうなくらい
ガチガチに緊張しながら弾いて、
でも修行(?)の回数を重ねるうちに
落ち着いて弾くための糸口を見つけ出し、
少しずつ「できる」を積み重ね、
そして…、
交流会の10日くらい前の段階では、
自分でも「よっしゃ!!」と思える
納得のイイ演奏ができるようになっていた。
で…
それが最後になってしまったような…?
うぅーーーーん。(-_-;) これって、
・そこが頂点になってしまった
・その状態がキープできなかった
ということなのか??
むむむー。謎。
今回のようなことはまったく経験がなく、
自分でも何が起こったのか?
イマイチわからない。
***
今は、
『上達しているのに、下手になった』
こんな感じ。複雑な気分。
というのも、恥ずかしながら
私のピアノ人生、
~20歳までは超テキトー。(遊び)
20~30歳までは「仕事」として、
過不足なく卒なくこなし、
30~40歳までは音楽の幅を広げ冒険。
「ピアノが大好き」な気持ちは、
幼少時代から変わっていないけど、
どちらかというと、
気の向くまま好き勝手に
ピアノと接してきたって感じ。
そして今、40歳~現在。
ようやく”本気”を出して
ピアノと向き合っている。
北海道から帰ってきて、
ピアノ教室を再開してからのこの10年、
生まれ変わるくらいのつもりで、
ピアノに関連すること
(奏法、指導、理論、心理、身体など)を、
本気で練習し、勉強し、取り組んできた。
その結果、
自分で言うのもなんだけれど、
「私はまだ上達している」と感じられている。
もちろん、スタートが低かったので、
「伸びしろがまだ余ってる」とも
言えなくはないけど。(汗)
『継続は力なり』を合言葉に、
自分なりに10年続けた結果、
「上達した」という実感を得ているのだ。
苦労した曲が弾けるようになり、
到底無理と思っていた曲に手が届き、
長時間弾くと痛くなりがちだった手が
いくら弾いてもまったく痛くなくなり、
格段に音のグラデーョンが豊かになり、
技術、表現、音色、知識、精神…
あらゆる面で、
音楽の幅が広がったのは明らか!
なのに、あのザマ。
講師演奏をまともに1曲、
弾ききれなかった。
あれほどやって満足に弾けないって、
一体どういうこと?
集中できないって何?
はぁ?(゚д゚)?
ってのが今の率直な気持ち。
学生の頃、ピアノの実技試験なんて、
今の10分の1も頑張らなかった。
20代の頃の講師演奏なんて、
「ま、形が整っていればOKでしょ」
程度にしか考えていなかった。
曲に対する想いも、取り組んだ時間も、
勉強する深さも、最終的な仕上がりも、
今に比べたら笑っちゃうくらい
チャランポランだった。
弾くのに不安で怖い箇所などは
「いかに誤魔化すか」を考え、
そのための練習をしたくらいだ。
なのに、
あの当時はそれをサラリと弾いて、
緊張したとしても何とか形にしていた。
謎。
上達しているのに下手じゃん、
今の自分。
「落ち込んでる」「悔しい」とかじゃない。
とにかく不思議。で、自分に呆れてる。
怒りにも似た感情。
「あんなにやったのに。もう知らん!!」
って感じ。投げやり。(笑)
コロナ前の講師演奏、ナザレーや
「大洋のエチュード」をピークに、あれ以降、
人前での演奏が超不安定極まりない。
交流会を外で開催するようになり、
不慣れな会場で「会」を成立させるために、
当日に、セッティング・司会進行しつつ、
皆の演奏を見守り、写真撮影など、
私にとって、精神的・肉体的な負担が
大きすぎるんだろうか??
(無自覚だけど)
交流会後、家で夫に、
ブツクサとこのことを話していると、
「えー!あんなに弾けてたのにー!?」と、
気の毒がられた後に、ひと言、
「老化ってことも無くはないんじゃない?」
と言われた。
えーっと。
無くはない…
つまり、「ある」ってことか?(苦笑)
そうか。
老化ねぇ。
そうなのかもしれない。
何だか、急に気持ちが萎えた。(笑)
***
そんなわけで、
「私はまだ上達している」
という感覚が妄想ではないと信じ、
老化に抵抗しながら、
引き続きピアノ道に精進いたします!
せっかくハゲもストップし、生えに転じ、
カツラ生活もようやく脱したわけだし、
(まだまだ無毛地帯だらけなんだけどね)
これ以上、気に病むのはやめよう。
多めにお休みを頂いた7月。
のんびり作曲でもして、楽しもうっと♪
※
交流会に参加された方は、
7月レッスン時にアンケートの提出を
忘れずにお願いいたします。
譜読みの冒険のススメ ― 2024/07/18
CDやレコードの『ジャケ買い』。
この言葉、今でも通じるのかな?
中身のことをよく知らない状態で、
ケースやパッケージのデザインだけ見て、
興味をそそられたモノを買うこと。
「このCD、ジャケットのデザインが
かっこいいな~。お洒落だな。
何だかよく知らないアーティストだけど、
よし、買って聴いてみよう~!」
って感じのことである。
まぁ、CDが主流だった時代に
タワレコやHMVに行き、
CDを買っていた世代ならば、
誰しも1度くらいは
経験があるんじゃないだろうか?
家に帰り、ワクワクしながら再生し、
アルバムに収録されている音楽を聴く。
自分の好みにピッタリな音楽で、
アルバムを丸ごと気に入る場合もあるし、
耳馴染みのない雰囲気の曲に、
ほぉ、へぇ~っと新鮮に感じることもあるし、
聴き始めは特に高評価じゃなかったのに、
後にジワジワと好きになるものもあった。
もちろん、まったく好みじゃなくて、
買って失敗…と思うこともある。(笑)
お小遣いやバイト代から
自分の意思でお金を払って、
どんな曲がまったく知らないCDを買い、
それを聴いてみる。
これって、ちょっとした冒険だ。
「ジャケ買い」ではなかったとしても、
お目当ての1曲があり、
その曲が収められているCDを買うと、
アルバム内に収録されている
興味の無い(知らなかった)別の曲まで
もれなく聴くことになる、という
「プチ冒険」くらいなら、
当時はごく普通のことだった。
これらの冒険が、
私の音楽の世界を広げてくれた。
自分では選ばなかったであろう曲、
知らないタイプの曲、
”食わず嫌い”ならぬ、
聴かず嫌いしていた曲、などと
出会わせてくれたのだ。
似たようなことを
ピアノの曲選びや譜読みで
感じることがある。
小さい頃、
「次からこの曲(or曲集)をやるから
楽譜を用意して練習してきなさい」と
ピアノの先生に言われ、
楽譜を用意して、
まったく知らない曲の譜読みをスタート。
ワクワクしながら手探りの状態で、
つっかえつっかえ弾いていき、
練習するうちに曲の全貌がみえてきて、
「わぁ~こんな曲なのか!」と
その曲との出会いに感動したものだ。
自分で弾いてはじめて、
「おぉー!なんだ、この響きイイ!」
とか大興奮しながら、譜読みをしていた。
だから、私は新しい曲に入る時の
譜読みの作業が大好きになった。
もちろん、弾いてみて、
「なんだ、この曲。つまんなーい(-_-)」
と感じることもあったけどね。
それでも、次のページはどんな曲だろ?と
まだ指示されていない先の曲も、
勝手にちょこっと譜読みをしたりして、
ワクワクがとまらなかった。
***
お金を出して買ってみて初めて聴く曲。
楽譜を開いて音を鳴らしてみて、
譜読みしながら知っていく曲。
2つに共通するこのワクワク感、
貴重だなぁ~と思う。
今は、何でも気軽にすぐ聴ける。
お試しで聴けることも多いし、
検索すればyoutubeなどで聴けたり、
似たようなタイプの曲や
自分好みのものを勝手に選んで
提示してくれたり…。
世の中が便利になったからなのか、
余裕のない人が増えたのか、
「無駄に思えること」や
「遠回り」はなるべくしたくないし、
早く答えや成果が欲しい、と
思う人が多くなったように感じるのだ。
だから、「知らない曲」を
1から譜読みすることを嫌い、
自分のよく知ってる好きな曲をやりたがる。
完成形を知ってる状態で
練習に取り組みたい人が増えた。
仮に、知らない曲をやることになっても、
まずyoutubeとかで曲を検索して、
どんな曲なのかしっかりと聴き込んじゃう。
確かに、
それで時間は省略できるのかもしれない。
「残念な出会い」も避けられるのかもしれない。
耳から入る分、譜読みをするのも楽になる。
どうかすると、弾き方のコツや
曲の解説まで探せるんだから、
そりゃ、魅力的だよね。
メリットは私も認める。
でも、踏み入れたことのない世界に
歩みを進めていくような
ドキドキ・ワクワク感はそこにはない。
「冒険」で得られるあの感覚、
そして、手探りの状態から
譜面と対峙した経験値は、
決して無駄な(余計な)時間ではなく、
大きな大きな音楽的財産となることを、
ぜひ知っておいてほしい。
***
ってことで!
たまにはゴールのわからない
音楽の旅にノンビリ出てみよう~!
「曲ありき」で選ぶのではなく、
あまり耳馴染みのない知らない曲を、
冒険するつもりで1から譜読み、
始めてみてはいかがかな?
交流会も終わったことだしね。
ちょっと気分を変えて。
遠回りしたっていいじゃない♪
譜読みの冒険、おススメします。
※
交流会後のアンケート、
全員分がまもなく出揃います。
まとめた記事は次回になるかな?
もう少しお待ちくださいね。
この言葉、今でも通じるのかな?
中身のことをよく知らない状態で、
ケースやパッケージのデザインだけ見て、
興味をそそられたモノを買うこと。
「このCD、ジャケットのデザインが
かっこいいな~。お洒落だな。
何だかよく知らないアーティストだけど、
よし、買って聴いてみよう~!」
って感じのことである。
まぁ、CDが主流だった時代に
タワレコやHMVに行き、
CDを買っていた世代ならば、
誰しも1度くらいは
経験があるんじゃないだろうか?
家に帰り、ワクワクしながら再生し、
アルバムに収録されている音楽を聴く。
自分の好みにピッタリな音楽で、
アルバムを丸ごと気に入る場合もあるし、
耳馴染みのない雰囲気の曲に、
ほぉ、へぇ~っと新鮮に感じることもあるし、
聴き始めは特に高評価じゃなかったのに、
後にジワジワと好きになるものもあった。
もちろん、まったく好みじゃなくて、
買って失敗…と思うこともある。(笑)
お小遣いやバイト代から
自分の意思でお金を払って、
どんな曲がまったく知らないCDを買い、
それを聴いてみる。
これって、ちょっとした冒険だ。
「ジャケ買い」ではなかったとしても、
お目当ての1曲があり、
その曲が収められているCDを買うと、
アルバム内に収録されている
興味の無い(知らなかった)別の曲まで
もれなく聴くことになる、という
「プチ冒険」くらいなら、
当時はごく普通のことだった。
これらの冒険が、
私の音楽の世界を広げてくれた。
自分では選ばなかったであろう曲、
知らないタイプの曲、
”食わず嫌い”ならぬ、
聴かず嫌いしていた曲、などと
出会わせてくれたのだ。
似たようなことを
ピアノの曲選びや譜読みで
感じることがある。
小さい頃、
「次からこの曲(or曲集)をやるから
楽譜を用意して練習してきなさい」と
ピアノの先生に言われ、
楽譜を用意して、
まったく知らない曲の譜読みをスタート。
ワクワクしながら手探りの状態で、
つっかえつっかえ弾いていき、
練習するうちに曲の全貌がみえてきて、
「わぁ~こんな曲なのか!」と
その曲との出会いに感動したものだ。
自分で弾いてはじめて、
「おぉー!なんだ、この響きイイ!」
とか大興奮しながら、譜読みをしていた。
だから、私は新しい曲に入る時の
譜読みの作業が大好きになった。
もちろん、弾いてみて、
「なんだ、この曲。つまんなーい(-_-)」
と感じることもあったけどね。
それでも、次のページはどんな曲だろ?と
まだ指示されていない先の曲も、
勝手にちょこっと譜読みをしたりして、
ワクワクがとまらなかった。
***
お金を出して買ってみて初めて聴く曲。
楽譜を開いて音を鳴らしてみて、
譜読みしながら知っていく曲。
2つに共通するこのワクワク感、
貴重だなぁ~と思う。
今は、何でも気軽にすぐ聴ける。
お試しで聴けることも多いし、
検索すればyoutubeなどで聴けたり、
似たようなタイプの曲や
自分好みのものを勝手に選んで
提示してくれたり…。
世の中が便利になったからなのか、
余裕のない人が増えたのか、
「無駄に思えること」や
「遠回り」はなるべくしたくないし、
早く答えや成果が欲しい、と
思う人が多くなったように感じるのだ。
だから、「知らない曲」を
1から譜読みすることを嫌い、
自分のよく知ってる好きな曲をやりたがる。
完成形を知ってる状態で
練習に取り組みたい人が増えた。
仮に、知らない曲をやることになっても、
まずyoutubeとかで曲を検索して、
どんな曲なのかしっかりと聴き込んじゃう。
確かに、
それで時間は省略できるのかもしれない。
「残念な出会い」も避けられるのかもしれない。
耳から入る分、譜読みをするのも楽になる。
どうかすると、弾き方のコツや
曲の解説まで探せるんだから、
そりゃ、魅力的だよね。
メリットは私も認める。
でも、踏み入れたことのない世界に
歩みを進めていくような
ドキドキ・ワクワク感はそこにはない。
「冒険」で得られるあの感覚、
そして、手探りの状態から
譜面と対峙した経験値は、
決して無駄な(余計な)時間ではなく、
大きな大きな音楽的財産となることを、
ぜひ知っておいてほしい。
***
ってことで!
たまにはゴールのわからない
音楽の旅にノンビリ出てみよう~!
「曲ありき」で選ぶのではなく、
あまり耳馴染みのない知らない曲を、
冒険するつもりで1から譜読み、
始めてみてはいかがかな?
交流会も終わったことだしね。
ちょっと気分を変えて。
遠回りしたっていいじゃない♪
譜読みの冒険、おススメします。
※
交流会後のアンケート、
全員分がまもなく出揃います。
まとめた記事は次回になるかな?
もう少しお待ちくださいね。
2024年のStudio*ABE*賞!(1) ― 2024/07/30
交流会が過ぎて、
もう1ヶ月以上経ちますね。
早いです。早すぎです。
そして連日のこの酷暑。
暑いです。暑すぎます。(;´Д`)
7月後半はお休みが続いたため、
しばらくお目にかかっていませんが
皆さん、お元気でしょうか?
***
交流会明けのレッスンでは、
「気が緩んで練習をサボってたので、
今日はお喋り中心で~(*´ω`*)」
と、教室にやってくる人、
「皆から刺激を受けて、
やる気アップしてます!ヽ(゚∀゚)ノ」
と、”弾きたい欲”が高まった方、
どちらのタイプもいらっしゃり、
交流会後の皆さんの様子を知ることは、
私の楽しみな時間でもあります。
当日を思い出しながら
色々とお喋りする時間は
とても有意義で楽しいですし、
やる気がアップした方に対しては
いつも以上にレッスンに熱が入りました♪
っとまあ、
そんな1ヶ月が過ぎ、ようやく
皆さんのアンケートが出揃いました。
今年は、別紙を用意して何枚にもわたって
回答を書いて下さった方が
た~~~くさんいて、ビックリ。
とっっっても嬉しいです。(*´ω`*)
溢れる想い、しっかり拝見しました。
自分自身の演奏を振り返りつつ、
他者の演奏の良いところを探し、
今後の目標や私へ労いの言葉まで…。
どの方も各質問にきちんと向き合い、
真剣に回答してくださり、
本当に感謝、感謝です。
ご協力をありがとうございました!!
***
さて。
アンケートの「まとめ記事」は
後日改めてUPするとして…。
集計が済みましたので、
今日は、今年の『Studi*ABE*賞』を
発表いたします!
2024年
第16回 ピアノ交流会
『Studio*ABE*賞』は…
ドゥルルルルルル…
じゃーーーん!(´ー`)ノ
・S 木 Y 旨 さん
・H 岡 K 一郎 さん
・Y 中 Y 紀 さん
です。
(※あいうえお順)
そうなんです!
なんと、3名。同数票を獲得。
今年はこの御三方に票が割れました。
それもそのはず。
・驚異的な音楽的成長を続けるS木さん
・ひたむきさと音色が魅力のH 岡さん
・挑戦により新たな一面を見せたY中さん
それぞれに”異なる良さ”が
ありましたからね~!
結果が判明した際、思わず、
「なるほどね~~~」と唸った私です。
皆さんから寄せられたコメントにも、
「だよね~~~~」と頷きっぱなし。(笑)
皆さんの耳の良さ、感性の鋭さには
毎回、驚かされます。
※コメントは選出理由の他に、
別枠で回答されたものも載せています
***
・S木 Y旨さん
「ずっとピアノを弾きたかった」
子供の頃、野球少年でありながら、
妹さんが習うピアノを羨ましく思っていた、
というS木さん。
大人になり念願のピアノを
Studio*ABE*でスタート。
椅子の座り方、ドレミから始まり、
基礎教材や練習曲集を地道にこなし、
基礎が固まってきたかな?と思ったら、
去年あたりからぐんぐん急成長!!
(去年も多くの票を獲得しており、
2023年ABE賞では次点でした)
そして、今年。
あの深みのある演奏。
『雨だれ/ショパン』
え?!ピアノを始めて数年?
信じられないですよね。
ただ「弾けている」のレベルではなく、
音を操って”表現”しているんだもの。
その音楽性と豊かな表現力に
心を奪われた人が続出。
特に、曲の中間部に対して、
共通したコメントが多く見られました。
「同じ部分に関して似た感想が複数」
というのは、それだけ彼の音楽が
聴き手にしっかり伝わった、ということ。
◎中間部は、ただのフォルテではなく、
深みのある音がひしひしと伝わり、
苦しいような、悲しいような感覚になった
◎どんどん惹き込まれる演奏でした
◎音楽の力、パワーが伝わってきました
特に、中間部は迫力があり、
さびれた修道院の亡霊が見えました
◎決してとがらない響きにひきこまれた
◎堂々としてプロのようでした
◎音(特にフォルテ)に広がりを感じた
※『雨だれ』は、雨が嵐へと変わる中、
ショパンが病床でうなされながら、
なかなか戻らない恋人の帰りを待ちつつ、
不安と絶望の中、悪夢(亡霊)を見ながら
曲を書いた、と言われています
日頃から、ピアノ大好き!が
溢れているS木さん。
まさに努力を努力とも思わないタイプ。
努力も楽しめる人はホント最強です。
彼自身、アンケートで自らを振り返り、
「聴きながら弾けるようになる。
中途半端な音は鳴らさず、
攻めた演奏でしっかりと奏でる、
を意識して再スタートしたい」と
おっしゃっています。
おぉ~。
その視点がすでにピアニスト!
彼のピアノは今後どうなっていくのか…
まだまだ先がありそうですね。
私もとても楽しみです!!!
私は、S木さんと出会えたこと、
ピアノを教える者として
神様からのギフトのように感じています。
ワクワクさせてくれる存在に
心から感謝です。(*´ω`*)
***
長~~くなってしまいそうなので、
H岡さん、Y中さんは次に記事に。
日を開けずに連投する予定です。
少々、お待ちください。
もう1ヶ月以上経ちますね。
早いです。早すぎです。
そして連日のこの酷暑。
暑いです。暑すぎます。(;´Д`)
7月後半はお休みが続いたため、
しばらくお目にかかっていませんが
皆さん、お元気でしょうか?
***
交流会明けのレッスンでは、
「気が緩んで練習をサボってたので、
今日はお喋り中心で~(*´ω`*)」
と、教室にやってくる人、
「皆から刺激を受けて、
やる気アップしてます!ヽ(゚∀゚)ノ」
と、”弾きたい欲”が高まった方、
どちらのタイプもいらっしゃり、
交流会後の皆さんの様子を知ることは、
私の楽しみな時間でもあります。
当日を思い出しながら
色々とお喋りする時間は
とても有意義で楽しいですし、
やる気がアップした方に対しては
いつも以上にレッスンに熱が入りました♪
っとまあ、
そんな1ヶ月が過ぎ、ようやく
皆さんのアンケートが出揃いました。
今年は、別紙を用意して何枚にもわたって
回答を書いて下さった方が
た~~~くさんいて、ビックリ。
とっっっても嬉しいです。(*´ω`*)
溢れる想い、しっかり拝見しました。
自分自身の演奏を振り返りつつ、
他者の演奏の良いところを探し、
今後の目標や私へ労いの言葉まで…。
どの方も各質問にきちんと向き合い、
真剣に回答してくださり、
本当に感謝、感謝です。
ご協力をありがとうございました!!
***
さて。
アンケートの「まとめ記事」は
後日改めてUPするとして…。
集計が済みましたので、
今日は、今年の『Studi*ABE*賞』を
発表いたします!
2024年
第16回 ピアノ交流会
『Studio*ABE*賞』は…
ドゥルルルルルル…
じゃーーーん!(´ー`)ノ
・S 木 Y 旨 さん
・H 岡 K 一郎 さん
・Y 中 Y 紀 さん
です。
(※あいうえお順)
そうなんです!
なんと、3名。同数票を獲得。
今年はこの御三方に票が割れました。
それもそのはず。
・驚異的な音楽的成長を続けるS木さん
・ひたむきさと音色が魅力のH 岡さん
・挑戦により新たな一面を見せたY中さん
それぞれに”異なる良さ”が
ありましたからね~!
結果が判明した際、思わず、
「なるほどね~~~」と唸った私です。
皆さんから寄せられたコメントにも、
「だよね~~~~」と頷きっぱなし。(笑)
皆さんの耳の良さ、感性の鋭さには
毎回、驚かされます。
※コメントは選出理由の他に、
別枠で回答されたものも載せています
***
・S木 Y旨さん
「ずっとピアノを弾きたかった」
子供の頃、野球少年でありながら、
妹さんが習うピアノを羨ましく思っていた、
というS木さん。
大人になり念願のピアノを
Studio*ABE*でスタート。
椅子の座り方、ドレミから始まり、
基礎教材や練習曲集を地道にこなし、
基礎が固まってきたかな?と思ったら、
去年あたりからぐんぐん急成長!!
(去年も多くの票を獲得しており、
2023年ABE賞では次点でした)
そして、今年。
あの深みのある演奏。
『雨だれ/ショパン』
え?!ピアノを始めて数年?
信じられないですよね。
ただ「弾けている」のレベルではなく、
音を操って”表現”しているんだもの。
その音楽性と豊かな表現力に
心を奪われた人が続出。
特に、曲の中間部に対して、
共通したコメントが多く見られました。
「同じ部分に関して似た感想が複数」
というのは、それだけ彼の音楽が
聴き手にしっかり伝わった、ということ。
◎中間部は、ただのフォルテではなく、
深みのある音がひしひしと伝わり、
苦しいような、悲しいような感覚になった
◎どんどん惹き込まれる演奏でした
◎音楽の力、パワーが伝わってきました
特に、中間部は迫力があり、
さびれた修道院の亡霊が見えました
◎決してとがらない響きにひきこまれた
◎堂々としてプロのようでした
◎音(特にフォルテ)に広がりを感じた
※『雨だれ』は、雨が嵐へと変わる中、
ショパンが病床でうなされながら、
なかなか戻らない恋人の帰りを待ちつつ、
不安と絶望の中、悪夢(亡霊)を見ながら
曲を書いた、と言われています
日頃から、ピアノ大好き!が
溢れているS木さん。
まさに努力を努力とも思わないタイプ。
努力も楽しめる人はホント最強です。
彼自身、アンケートで自らを振り返り、
「聴きながら弾けるようになる。
中途半端な音は鳴らさず、
攻めた演奏でしっかりと奏でる、
を意識して再スタートしたい」と
おっしゃっています。
おぉ~。
その視点がすでにピアニスト!
彼のピアノは今後どうなっていくのか…
まだまだ先がありそうですね。
私もとても楽しみです!!!
私は、S木さんと出会えたこと、
ピアノを教える者として
神様からのギフトのように感じています。
ワクワクさせてくれる存在に
心から感謝です。(*´ω`*)
***
長~~くなってしまいそうなので、
H岡さん、Y中さんは次に記事に。
日を開けずに連投する予定です。
少々、お待ちください。