「作品」は自分そのもの2024/02/01

私はモノを作る(創る)ことが
小さい頃から大好き。(*´ー`*)
それは、曲に始まり、
絵を描く、写真を撮る、
デザインを考え形にする、
文章を書く、小物や雑貨を制作する、
など多岐にわたる。

あーでもない、こーでもない、
んー。そう!そう、こういう感じ!
…と、
自分の中からブワ~っと
次々とわき出てくる自身の想いを
膨らませて、練って、整理整頓し、
形にするのが大好きなのである。

しかし、逆を言うと…
私は「リアルタイム」に超弱い。
 ・その場で上手い返しができない
 ・いきなり振られた際の対応が苦手
 ・突然起きる出来事に反応できない
 ・喋りなどのアドリブが効かない
などなど。
「あれ?実際に会ってみたら、
面白いこと言うわけでもなく、
案外、真面目でつまんない人だな」
私、こんな風に思われるタイプ。(苦笑)

とにかく「現場でその場で対応」がダメ。
このことには薄々気が付いていたが、
近年、ようやくこの歳になって
ハッキリとわかった。
自分に納得!スッキリ。

小さい頃から、周りの人達に、
「頭の回転が速い」とか
「飲み込みが速い」「器用だよね」
なんて言われることが多く、
リアルタイムでもそれを期待されて、
「うまいこと適当にやってよ」と
重要な場面をいきなり任される、
なんてことが多々あった。
でも、思うような成果が出せず、
期待してもらった割にイマイチ。
自分としては納得のいかない結果に…
ということが、しばしば。
(可もなく不可もなく、な感じになる)

そして、聞こえてくる
「頑固」「融通か利かない」
「柔軟性に乏しい」という言葉や評価。
それに対して、悩み落ち込み、
自己嫌悪、反省…ということが、
人生で何度となくあったのだ。

が、しかーし!!
人には、向き/不向き、がある。

私が”自分らしさ”を発揮するには、
『次々わき出てくる自身の想いを
膨らませて、練って、整理整頓し』
この時間が必要不可欠!!

↑ということが分かった今、
自分自身の力を発揮する場を
「リアルタイムに生み出す型」ではなく、
「じっくり練って生み出す型」に
シフトして行けば良いんだ♪と
気が付いたのだ。

だから、私は、
その場の反応を感じながら、
生(ナマ)を提供する
「演奏家」向きではない。
定期的にライブを行なっていた頃、
バンドで演奏する楽しさとは裏腹に、
その場で音を作り出すことに
だんだんと苦痛を感じるように
なってしまったのは、
そのせいだったんだな、と
今になってわかる。

***

私の作品は、私の心の代弁者。
そこには
私の感情や想いが込められていて、
それは、私だけが知り得るもの。

ものすごい勢いで
止め処なく溢れてくる感情を、
その時、その場ですぐに、
上手く表現できない自分にとって
「作品」は、時間をかけて自分と向き合い、
自分自身を絞り出したもの、
と言っても過言ではない。
だから、
 ・ウケるかどうか
 ・みんなが喜ぶかどうか
 ・売れるかどうか
などといった基準は、
私とっては意味を持たない。

ところが、これ、”商業的”に考えたら、
話しは途端に複雑になる。
その「作品」が世の中から注目され、
「商品」として売れなくてはいけないからね。

自分以外の人間がそれに関わる場合、
スタッフと「作品」を共有することにもなる。
自分の分身でもある「作品」を
ニーズに合わせて
不本意に変えざるを得なくなったり、
時には他人によって手を加えられ、
まったく別物になってしまう、
なんてことだってあり得るのだ。
「作品」を提供した作者にとって、
ある程度は覚悟の上とはいえ、
これは傷つけられるのと同じであり、
とても屈辱的で、
耐えがたい苦痛であることは間違いない。

加えて、求められることに対して
素早く対応しなくてはいけない場面もあり、
まさにリアルタイムでの
柔軟さや調整力も必要。
関わる者が皆が、それぞれの価値観で、
「それぞれにとって」の”より良いもの”に
作り進めようとするわけから、
余計にややこしくなるよね。

お願いした約束が守られなかったり、
適当にあしらわれたりするのも、よく聞く話し。
作者個人が「NO!」の声をあげることは
相当勇気がいるだろうし、
動き出したものを止めるのは難しい。

想像しただけで、
心が折れるし、ぐったりする。

モノを創る人にとって、
その『作品』は我が子のように可愛く、
自分の分身のような存在で
極めて大切なもの。
雑に扱われたら許せないし、
とことん守りたい。

もとの「作品」は、
1人の人間が生み出したもの。
その人なくして、
その作品は生まれてこなかった。

やっぱりそこにリスペクトがあってほしい。
そう願わずにはいられない。

***

色々と思うところがあり、
取り留めもなく
ツラツラと書いてしまいました。

次は明るい話題にするぞ!!!

「からだ」の視点から(その1)2024/02/16

交流会に向けて新曲ラッシュです。
今年も、「レベル、高ッ!曲、長ッ!
私、コレやったことないぞ~(汗)」
という多種多様な選曲なので、
「こ…これは、レッスンに合わせて
私も練習しておかねば…(゚Д゚;)」
ヒィー!と悲鳴を上げつつ、
ニヤニヤしながら皆さんの曲を
せっせと楽しく練習しています。
…マゾか?(笑)

そんなわけで、今日は、
新たな曲に取り組み始めてから、
曲を仕上げるまでの
レッスン/練習での道筋を、
「からだ」の視点から
ザックリ大きく3段階に分けて、
改めて説明しておきますね。
(長くなるので記事を2回に分けます)

***

<1>脳に働いてもらう

新しい曲に入ってまずすること。
そう、譜読みです。この段階では、
まずドレミを把握して、リズムを読んで、
弾きながら指使いを気にして…
と、こんな感じに同時に色々なことに
気を配る必要があります。
必死に譜面を追って、
脳みそフル回転!!で、
「音」を組み立てている状態です。

得意/苦手があったとしても、
片手ずつ始める初心者だろうが、
いきなり両手の上級者だろうが、
この「譜読み作業」はみんなが通る道。
とても神経を使うし、集中力も必要だし、
複雑で高度な脳の処理能力が必要。
だから譜読みってかなり疲れるし、
逆に、色々あって疲れている日は、
練習が捗らなかったりしますね。

脳みそに負担をかけすぎると、
練習効率も悪くなりますし、
目が疲れたり、肩が凝ったりして、
ひどい時には頭痛を引き起こすことも…。
休憩を挟みながら取り組む!
コレ、大事なポイントです。

この「譜読み作業」は、
絵を描く際の「下描き」みたいもので、
曲の基礎、土台となるもの。
テキトーに済ませていると、
後で手直しが必要になり苦労したり、
最終的に仕上がらなくなる恐れもあります。
「ま、こんな感じでしょ」
と、いい加減に進めてしまわず、
丁寧に読んでいくことが大切です。

<2>耳を使って音を聴く

「譜読み」が済み、
音楽が流れ始め形になってきたら、
強弱や緩急、スラーなどの記号、
他の音楽用語、曲のテンポなどに
気を配って弾けるようにしていきます。

「下描き」をより整えていき、
絵として形にしていく工程ですね。
この段階になると、
「わーい、弾けてきたかも~♪」と
思える箇所が増えてきますが、
それと同時に、手こずる箇所も
ハッキリしてくるかと思います。

指が馴染み、アレコレ考えずに
弾けるようになってきた箇所では、
脳みそに少し余裕が生まれてきます。
そうすると、和音の響き、旋律など
譜読み段階では聴こえなかった音が
徐々に聴こえるようになってきます。
鍵盤をおろせば「聞こえてくる」から、
意図的に「音を聴く」へ、
切り替えていきましょう。

この段階では、弾けば弾いただけ
指がどんどん馴染んでいくので、
楽譜に頼らなくなり、
弾けているような気分になり、
(↑覚え弾き/自動モードに注意!)
細やかな練習を怠りがち。

今一度、楽譜をしっかり見て、読んで、
 ・要求されている細かな指示を
 弾けるようにしていく練習
 ・スムーズに弾けない所の部分練習
などを心掛けましょう。
普段の自宅練習において、
弾けている/弾けていない、の判断は
自分自身に委ねられています。
音楽が一定に流れているか?
強弱・緩急が不自然じゃないか?
ペダルが濁っていないか?
など、正しい判断をするためにも、
「耳」を使って音をよ~く聴くこと。

***

次回は、いよいよ「曲想」です。
<3>は奥が深いですよ~。

弾く(指を動かす)ことで精一杯だと
曲想にまで辿り着けないことも多いので、
自分にとって難しすぎない曲を
選びたいものです。
…とはいっても、簡単なものだと、
飽きてきたり、物足りなく感じたり…。
「ちょっと難しいかも~(汗)」くらいが
一番上達する気がします。
選曲はとても大事ですね。

とにもかくにも、まずは<1>から。
練習は、「長時間」より「細切れ」に。
休憩を挟んで、頭を休めながら、
繰り返しおこなってくださいね。

続きの記事は、
近日中に更新予定です。
お待ちくださいませ~。(´ー`)ノ

「からだ」の視点から(その2)2024/02/27

続きの記事です。

<3>身体を意識する

部分練習をしてミスもかなり減った!
音を聴く余裕も増えてきたぞ!…と、
ここまできたら、いよいよ最終段階。
いわゆる「曲想」をつけていきます。

曲想とは何でしょう?
その曲の持つ雰囲気、物語性、
その曲に込められた想い、
っとまぁ、こんな感じでしょうか。
描きあがった絵に色を塗っていく段階、
と言えば雰囲気は伝わるかな?
「幸せ」というタイトルなのに、
黒で塗りつぶすことはないでしょうし、
「絶望」というタイトルなのに、
パステルカラーでカラフルに塗るのも、
きっとイメージとは違いますよね。

ピアノ演奏で具体的に言うと、
例えば、
「 f と書いてあるから大きく弾く!」
ではなく、どんなイメージの強さ?
鋭い?力強い?おおらか?
他の部分の「f」と同じ音量で良い?
そもそも、なぜ、
ここの部分に「f」の指示があるんだろう?
など、楽譜から曲を掘り下げて読み解き、
そこから感じ取った(読み取った)
イメージや想いを音に乗せて、
自分なりに演奏で
それを表現していく作業。
これが「曲想をつける」とうことです。

自分が求める理想の音色、音量、
イメージに合ったフレーズの繋がり、
間合い、緩急の移り変わり、などなど、
これらを繊細に演奏で表現することは
とても難しいことです。

よく「気持ちを込めましょう」といった
アドバイスを見かけますが、
「気持ち」で何とかなるものではありません。
実際には、気持ちを込めることで、
それまでとは違った身体の動きが誘発され、
(打鍵スピード、呼吸、力みなどが変化し)
結果、理想の音に近づいたり
フレーズの雰囲気が変わったりする、
ということなんですね。
「気持ち」によるせっかくの嬉しい変化も
再現性がなければ、偶然にすぎません。

まず、今、自分が出している音は、
自分の身体をどう動かして出しているのか?
を、細かく知る必要があります。
その上で、どうやったら
(=どのように身体を使ったら)
理想の音に近づけるのか?
イメージ通りの音が出せた時、
身体はどう使えていたのか?を深く考え、
実践していく必要があるんですね。

また、この段階になっても
つかえたり、ミスタッチが出ている場合、
何か身体の使い方に不自然な点があり、
改善点があることが多いです。

理想的な音楽にならない時、や、
いつまでもミスが残る時、は、
指番号の見直し、指先の向き、
指の傾き、鍵盤に置く位置、手首の動き、
肘や肩の使い方、身体の重心の意識、など
「身体」を意識し、見直してみましょう。
自分が欲しい音が出せたり、
思い描く演奏が可能になることは
とても多いですよ!

仕上げの段階では、
音に耳を傾けるのは当然ですが、
自分の身体の動きや
呼吸などにも意識を向けて、
練習をしてみましょう。

***

まとめ。

以上の<1><2><3>の3段階を、
普段(平常時)のレッスン内容で考えると、
こんな感じの割合になることが多いです。

初心者
とにかく、まず<1>。<2>を目指そう!
初級者
<1~2>メイン。<3>も頑張りたいところ。
中級者
<1>は自力で。レッスンは<2~3>メイン。
上級者
<1~2>自力で。<3>を深く掘り下げ。

…ですが、
交流会では少し事情が異なります。
「人様の耳に演奏をお届けする」
という観点から
どの方も<3>を視野に入れて、
「音を鳴らす」「弾ける」に留まらず、
「音楽を奏でる」を目指していただきたい!

ちなみに。
この3段階はピラミッドのような
三角の関係になっています。
<1>の土台なくして<2>はないし、
<1><2>なくして<3>はないです。
つまり、最初は皆、
「譜読み=譜を読んで弾く」が
根底にはあったはず。
それが、いつの間にか
「譜面は覚えてる」「暗譜で弾けます」
となっていくんですね。
一見、順調そうに見える発言ですが、
これ、正確には、
「楽譜を見たら弾けない」
「ここから、と指定されたら弾けない」
「丸覚えして手元を見ている」
なんて状態だったりするんです~。
思い当たる方、多いのでは??

こうなると、
<3>の段階を目指しても、
三角のバランスはグラグラで、
交流会ともなると、
レッスンと異なる環境+緊張で、
恐怖の「総崩れ」が起きかねません。
ヒィ-!(;´Д`)

しっかりとした土台の上に、
磨きのかかった美しい音を乗せ、
豊かな表現を目指して、
新曲に取り組んでいきましょう。
さぁ、練習、練習~。
私もレッスンに向けて、
皆さんの曲、大急ぎで頑張ります!!