私と「コード」 ― 2021/12/07
今日のブログは
≪11/28 ピアノの先生と「コード」≫
の続きの記事です。
***
「不真面目&遊び弾き」
この言葉に尽きる私のピアノ歴。
先生としてどうなのよ?
…と思われるかもしれませんが
正直に綴ってまいります。(笑)
まぁ~とにかく楽譜通りに弾かず、
すぐにテキトーに弾いて、
楽譜を読まない子供時代。
「こっちの方がかっこいい」とか言って、
勝手に音を変えて怒られたり、
アレンジするのは日常茶飯事。
幼稚園の頃から自由気ままに作曲。
練習(レッスンの宿題)もせずに、
即興で延々と弾き続けて
ピアノの練習時間は、ハイ、終了。
小学生くらいになると作曲の他に、
合唱などの伴奏にも目覚め
「弾き語りスタイル」で歌いまくり。
その他、気に入ったフレーズや
洒落た音使いを耳コピーしては、
それらをせっせと
練習しているような子でした。
作曲、アレンジ、伴奏、などなど、
ピアノでいろいろ遊んでいると、
調性や音階など音楽の基礎は、
「勉強」と感じないまま、感覚的に、
自然とわかるようになっていきました。
そのうち、7thコード(4和音)以上の
凝った響きを求めるようになり、
和音の移り変わり(=和声)にも
興味がわくようになった頃、
『コードネーム』の存在を知ることに。
これって何?どういうこと?と、
知りたい気持ちがムクムク、ムクムク。
自分が見つけた「イケてる響き」…
この音がいったい何という和音なのか?
そんなことが気になって、
自分なりに本で調べたりして、
少~しずつ知識を増やしていきました。
なので、コードへの導入は
完全に自己流&独学。
「よし、コードを理解しよう!勉強だ!」
と、始まったわけではなく、その逆で、
「今おさえて鳴らしているこの和音、
かっこいい響きだけど何て名前?
自分も曲を作る時に鳴らしたい&
使いたいから理解しておきたい!」
今思い返せば、この想いが、
”コードを学び始めたキッカケ”と
いえそうです。
***
中学に入ると音高受験へむけて、
先生について「楽典」を学ぶことに…。
「楽典」は音楽のルールとなる
基礎知識・音楽理論を学ぶ学問。
「音程」や「度数」など、
コードの土台として必要な内容ばかり。
今まで自分が感覚的にしてきたことが
理論的に裏付けされる感じがして、
楽典の勉強はとにかく楽しく、
ぐんぐん惹きこまれていきました。
この頃になると、
コード譜(メロ譜)を見て
適当に伴奏付けしながら歌ったり、
自作のメロディにコードを付けたり、
それに手を加えて複雑に改良していく、
なんてことも、ヘナチョコ自己流ながら
できるようになっていました。
その後、音高&音大の授業で、
和声学の基礎を学ぶわけですが、
当然、クラシック音楽。
でも、私が興味ある音楽と言えば、
ジャズやポピュラー音楽だったので、
学校で習った和声学をもとに、
それをコードへと変換しながら
練習&勉強はそっちのけで、
「ジャズもどき」を弾いたりしつつ、
そのまま卒業。
そして、
Studio*ABE*でピアノを教えつつも、
「うーん、クラシックもいいけど…
ちゃんとジャズを学びたい!!」
という気持ちが膨らんできたため、
先生についてジャズを勉強。修行。
ジャズの楽曲を使いながら、
コード理論を頭に入れなおし、
ヴォイシング(実践的なおさえ方)も知り、
ジャズで使われる進行、スケールなど、
新たに知識を増やしていったワケです。
***
まとめ。
私が子供だった頃は、今と違って
「ピアノを習う」と言えば、
それは当たり前にクラシックだったし、
クラシックを中心としたピアノ教育は
「楽曲を楽譜どおりに演奏すること」
が大前提でした。
だから多くの子供たちが、
そこに何の疑いも感じず従順に従い、
素直に練習を重ねていたんだと思います。
そう考えると、
多分、私は幼少時代から
楽譜をそのまま弾くだけじゃ物足りず、
自分で曲を作ったり、
かっこいい響きやフレーズを
探すことにワクワクしていたので、
「クラシックピアノを弾く」ことではなく、
もっと広~~~い意味で、
≪音楽≫を楽しみたかったのかも?
と思ったりします。
≪音楽≫を楽しむための道具として
ピアノを扱っていたように思うのです。
楽譜通りにピアノ弾くだけなら
コードの知識は必須ではありません。
でも、音楽そのものを楽しむには
コードを知っていると
ぐーーーーんと楽しさが広がります!
この記事を読んで、
コードに興味が出てきた!という方、
レッスンに取り入れることもできます。
自分で本を買って
勉強してみるのも楽しいですよ。
視野を広げて、
ピアノと付き合ってみてください。
この先も、長~~く楽しめるはずです♪
≪11/28 ピアノの先生と「コード」≫
の続きの記事です。
***
「不真面目&遊び弾き」
この言葉に尽きる私のピアノ歴。
先生としてどうなのよ?
…と思われるかもしれませんが
正直に綴ってまいります。(笑)
まぁ~とにかく楽譜通りに弾かず、
すぐにテキトーに弾いて、
楽譜を読まない子供時代。
「こっちの方がかっこいい」とか言って、
勝手に音を変えて怒られたり、
アレンジするのは日常茶飯事。
幼稚園の頃から自由気ままに作曲。
練習(レッスンの宿題)もせずに、
即興で延々と弾き続けて
ピアノの練習時間は、ハイ、終了。
小学生くらいになると作曲の他に、
合唱などの伴奏にも目覚め
「弾き語りスタイル」で歌いまくり。
その他、気に入ったフレーズや
洒落た音使いを耳コピーしては、
それらをせっせと
練習しているような子でした。
作曲、アレンジ、伴奏、などなど、
ピアノでいろいろ遊んでいると、
調性や音階など音楽の基礎は、
「勉強」と感じないまま、感覚的に、
自然とわかるようになっていきました。
そのうち、7thコード(4和音)以上の
凝った響きを求めるようになり、
和音の移り変わり(=和声)にも
興味がわくようになった頃、
『コードネーム』の存在を知ることに。
これって何?どういうこと?と、
知りたい気持ちがムクムク、ムクムク。
自分が見つけた「イケてる響き」…
この音がいったい何という和音なのか?
そんなことが気になって、
自分なりに本で調べたりして、
少~しずつ知識を増やしていきました。
なので、コードへの導入は
完全に自己流&独学。
「よし、コードを理解しよう!勉強だ!」
と、始まったわけではなく、その逆で、
「今おさえて鳴らしているこの和音、
かっこいい響きだけど何て名前?
自分も曲を作る時に鳴らしたい&
使いたいから理解しておきたい!」
今思い返せば、この想いが、
”コードを学び始めたキッカケ”と
いえそうです。
***
中学に入ると音高受験へむけて、
先生について「楽典」を学ぶことに…。
「楽典」は音楽のルールとなる
基礎知識・音楽理論を学ぶ学問。
「音程」や「度数」など、
コードの土台として必要な内容ばかり。
今まで自分が感覚的にしてきたことが
理論的に裏付けされる感じがして、
楽典の勉強はとにかく楽しく、
ぐんぐん惹きこまれていきました。
この頃になると、
コード譜(メロ譜)を見て
適当に伴奏付けしながら歌ったり、
自作のメロディにコードを付けたり、
それに手を加えて複雑に改良していく、
なんてことも、ヘナチョコ自己流ながら
できるようになっていました。
その後、音高&音大の授業で、
和声学の基礎を学ぶわけですが、
当然、クラシック音楽。
でも、私が興味ある音楽と言えば、
ジャズやポピュラー音楽だったので、
学校で習った和声学をもとに、
それをコードへと変換しながら
練習&勉強はそっちのけで、
「ジャズもどき」を弾いたりしつつ、
そのまま卒業。
そして、
Studio*ABE*でピアノを教えつつも、
「うーん、クラシックもいいけど…
ちゃんとジャズを学びたい!!」
という気持ちが膨らんできたため、
先生についてジャズを勉強。修行。
ジャズの楽曲を使いながら、
コード理論を頭に入れなおし、
ヴォイシング(実践的なおさえ方)も知り、
ジャズで使われる進行、スケールなど、
新たに知識を増やしていったワケです。
***
まとめ。
私が子供だった頃は、今と違って
「ピアノを習う」と言えば、
それは当たり前にクラシックだったし、
クラシックを中心としたピアノ教育は
「楽曲を楽譜どおりに演奏すること」
が大前提でした。
だから多くの子供たちが、
そこに何の疑いも感じず従順に従い、
素直に練習を重ねていたんだと思います。
そう考えると、
多分、私は幼少時代から
楽譜をそのまま弾くだけじゃ物足りず、
自分で曲を作ったり、
かっこいい響きやフレーズを
探すことにワクワクしていたので、
「クラシックピアノを弾く」ことではなく、
もっと広~~~い意味で、
≪音楽≫を楽しみたかったのかも?
と思ったりします。
≪音楽≫を楽しむための道具として
ピアノを扱っていたように思うのです。
楽譜通りにピアノ弾くだけなら
コードの知識は必須ではありません。
でも、音楽そのものを楽しむには
コードを知っていると
ぐーーーーんと楽しさが広がります!
この記事を読んで、
コードに興味が出てきた!という方、
レッスンに取り入れることもできます。
自分で本を買って
勉強してみるのも楽しいですよ。
視野を広げて、
ピアノと付き合ってみてください。
この先も、長~~く楽しめるはずです♪
「知ること」で栄養補給 ― 2021/12/20
気が付けば今年もあと10日ほど。
今年はどんな1年でしたか?
私は、悲しいこと、つらいこと、
痛いこと、最悪なできごとなど、
あまりにも大変なことが相次ぎ、
ボロボロくたくたヨロヨロ
…な1年でした。
しかし、
いくら悲しんだって、泣いたって、
時間は戻らないし、
無かったことにはならないワケだし、
大変だろうがつらかろうが
すべて受け入れるしかない!と、
その都度、自分に言い聞かせ、
まぁ、ヨロヨロではありますが、
何とか2021年を終えようとしています。
こんな書き始めだけど、
本日のブログ、暗い話題を
お届けしたいわけではありません。
ご安心を~。(^-^)
***
突然ですが、学生時代の私は、
お勉強はあまり得意ではなくて、
特に「数学」と「社会」は大嫌い!
大の苦手科目でした。
数学に至っては、
「算数」からつまづいてしまったため、
お話しにならないレベル。(汗)
これはもう、今現在もお手上げです。
で、「社会科」。
歴史はまったく興味が無かったため、
今も残念な知識レベル。(-_-;)
ところが、ここへきて地理に興味が…。
子供の頃、平面の世界地図を見ても、
ちっともイメージがわかず、
チンプンカンプンで理解に苦しんだ私。
苦手!嫌い!興味なし!わからん!と
バッサリ切り捨ててしまったけど、
これって、生まれ育った環境(実家)に
”地球儀”がなかったから
丸い地図をイメージできず
理解できなかったんじゃないの?と
近年、何となく思い始めていたんです。
そんな流れから、今更だけれど
「世界各国の場所」を
頭の中で整理整頓したくなり、
今年の5月、自分の誕生日プレゼントに
思い切って地球儀を購入!
いざ、地球儀を手にしてみると、
「大陸」など、基本的な知識からして
恐ろしく無知であやふや。(汗)
地球儀をクルクル回しながら
「ほぉ、へぇ。…え!えぇー!?」と
驚きの連続。
国の場所を大きく勘違いしていたり
国の大きさのイメージが変だったり、
それはそれは、もぅ~、ヒドイものでした。
脳内での誤認識が
次々と発覚しまくりです。(苦笑)
7月のオリンピック開会式では、
各国の選手入場をTVで見ながら、
『入場してくるその国の場所を
次の国の紹介の前までに見つける』
というルールを設定し、
ゲーム感覚でお勉強。(笑)
あの長~い選手入場の時間も
まったく退屈することなく
地球儀をクルクル回して
1人遊んでおりました。
そんなこんなで、少しずつ、
色々な国の場所がわかるようになり、
頭の中で地図が整理整頓されて、
苦手意識も薄れ、
すっかり地理が楽しく思えてきた私。
先日、地球儀に続き、
『MAPS(新・世界図絵)~愛蔵版~』
(地図+図鑑みたいなイラストの本)も
自分用のクリスマスプレゼントとして
購入しちゃいました。(*´ω`*)
国の場所に始まり、
各国の国旗・植物・動物・産業など
興味の幅がどんどん広がりつつあります。
「知る」って実に楽しいことです~♪
***
つらいことや悲しい出来事があって
精神的にしんどい時、
いつもならピアノを弾きまくることで
余計なことを考えず、じっと耐えて
その時期を乗り越えるのですが、
今年は指の怪我や手首の捻挫もあって、
ピアノが弾けない時期も多くありました。
寝たきりとなった母の介護も始まり
時間的な余裕に加えて
精神的な余裕もなくなり、
「好きな時に思う存分ピアノを弾く」
ということができなくなりました。
義父の死、愛犬の死、知人(友人)の死、
自分の怪我、家族の病気、看病、
そして介護もスタート。
本当に色々とありすぎる1年でした。
しかし、
結局は丸ごと受け入れて
きちんと消化し乗り越えるしかない!
つらくてしんどくて悲しい時に
いつも通りに明るく振る舞ったり、
前向きな方向に舵を取るのって
かなり難しいけど、
そんな時は地球儀をクルクル。
「知的好奇心」のおかげで
気持ちを切り替えたり、
それらのことを考えずに済んだり、
自分を楽しませることができました。
「世の中は知らないことだらけ。
自分が知ろうとさえすれば、
一生ずっと楽しめるじゃん。
人生、楽しんだもん勝ち!ヽ(゚∀゚)ノ」
↑
10年前くらいでしょうか、
ある時を境に、
私はこう考えるようになりました。
でも、その精神で生きていると、
困難とか苦悩とは無縁で
お気楽に生きているように見えるらしく、
「苦労とか挫折をしてなさそう」
「いつも楽しそうでいいよね」
「元気いっぱいで悩みとかなさそう」
と、言われることも…。
正直、モヤっとします。が、
考えてみれば、「悲壮感が漂ってる」
「苦労してそう」「人生つまらなさそう」と
見えたり思われているよりも
100倍マシなのかもしれませんね。(笑)
「知」は
生きていくうえで必要な栄養であり、
「知ること・学ぶこと」は栄養補給。
そして、それは
未来への選択肢を増やすことになり、
同時に自分自身を守り、助ける力となる。
…そんな風に思うのです。
振り返ると大変な1年だったけれど、
自分自身の「知的好奇心」に
救われた1年でした。
来年は笑顔になることが
いっぱいあるといいなぁ。
何事も楽しい側面を見つけて
明るい気分で1年を過ごしたいです。
いやぁ。
それにしても。
北極って大陸じゃないのね…。
そして。
北極にペンギンはいない!
衝撃の事実。((+_+))
今年はどんな1年でしたか?
私は、悲しいこと、つらいこと、
痛いこと、最悪なできごとなど、
あまりにも大変なことが相次ぎ、
ボロボロくたくたヨロヨロ
…な1年でした。
しかし、
いくら悲しんだって、泣いたって、
時間は戻らないし、
無かったことにはならないワケだし、
大変だろうがつらかろうが
すべて受け入れるしかない!と、
その都度、自分に言い聞かせ、
まぁ、ヨロヨロではありますが、
何とか2021年を終えようとしています。
こんな書き始めだけど、
本日のブログ、暗い話題を
お届けしたいわけではありません。
ご安心を~。(^-^)
***
突然ですが、学生時代の私は、
お勉強はあまり得意ではなくて、
特に「数学」と「社会」は大嫌い!
大の苦手科目でした。
数学に至っては、
「算数」からつまづいてしまったため、
お話しにならないレベル。(汗)
これはもう、今現在もお手上げです。
で、「社会科」。
歴史はまったく興味が無かったため、
今も残念な知識レベル。(-_-;)
ところが、ここへきて地理に興味が…。
子供の頃、平面の世界地図を見ても、
ちっともイメージがわかず、
チンプンカンプンで理解に苦しんだ私。
苦手!嫌い!興味なし!わからん!と
バッサリ切り捨ててしまったけど、
これって、生まれ育った環境(実家)に
”地球儀”がなかったから
丸い地図をイメージできず
理解できなかったんじゃないの?と
近年、何となく思い始めていたんです。
そんな流れから、今更だけれど
「世界各国の場所」を
頭の中で整理整頓したくなり、
今年の5月、自分の誕生日プレゼントに
思い切って地球儀を購入!
いざ、地球儀を手にしてみると、
「大陸」など、基本的な知識からして
恐ろしく無知であやふや。(汗)
地球儀をクルクル回しながら
「ほぉ、へぇ。…え!えぇー!?」と
驚きの連続。
国の場所を大きく勘違いしていたり
国の大きさのイメージが変だったり、
それはそれは、もぅ~、ヒドイものでした。
脳内での誤認識が
次々と発覚しまくりです。(苦笑)
7月のオリンピック開会式では、
各国の選手入場をTVで見ながら、
『入場してくるその国の場所を
次の国の紹介の前までに見つける』
というルールを設定し、
ゲーム感覚でお勉強。(笑)
あの長~い選手入場の時間も
まったく退屈することなく
地球儀をクルクル回して
1人遊んでおりました。
そんなこんなで、少しずつ、
色々な国の場所がわかるようになり、
頭の中で地図が整理整頓されて、
苦手意識も薄れ、
すっかり地理が楽しく思えてきた私。
先日、地球儀に続き、
『MAPS(新・世界図絵)~愛蔵版~』
(地図+図鑑みたいなイラストの本)も
自分用のクリスマスプレゼントとして
購入しちゃいました。(*´ω`*)
国の場所に始まり、
各国の国旗・植物・動物・産業など
興味の幅がどんどん広がりつつあります。
「知る」って実に楽しいことです~♪
***
つらいことや悲しい出来事があって
精神的にしんどい時、
いつもならピアノを弾きまくることで
余計なことを考えず、じっと耐えて
その時期を乗り越えるのですが、
今年は指の怪我や手首の捻挫もあって、
ピアノが弾けない時期も多くありました。
寝たきりとなった母の介護も始まり
時間的な余裕に加えて
精神的な余裕もなくなり、
「好きな時に思う存分ピアノを弾く」
ということができなくなりました。
義父の死、愛犬の死、知人(友人)の死、
自分の怪我、家族の病気、看病、
そして介護もスタート。
本当に色々とありすぎる1年でした。
しかし、
結局は丸ごと受け入れて
きちんと消化し乗り越えるしかない!
つらくてしんどくて悲しい時に
いつも通りに明るく振る舞ったり、
前向きな方向に舵を取るのって
かなり難しいけど、
そんな時は地球儀をクルクル。
「知的好奇心」のおかげで
気持ちを切り替えたり、
それらのことを考えずに済んだり、
自分を楽しませることができました。
「世の中は知らないことだらけ。
自分が知ろうとさえすれば、
一生ずっと楽しめるじゃん。
人生、楽しんだもん勝ち!ヽ(゚∀゚)ノ」
↑
10年前くらいでしょうか、
ある時を境に、
私はこう考えるようになりました。
でも、その精神で生きていると、
困難とか苦悩とは無縁で
お気楽に生きているように見えるらしく、
「苦労とか挫折をしてなさそう」
「いつも楽しそうでいいよね」
「元気いっぱいで悩みとかなさそう」
と、言われることも…。
正直、モヤっとします。が、
考えてみれば、「悲壮感が漂ってる」
「苦労してそう」「人生つまらなさそう」と
見えたり思われているよりも
100倍マシなのかもしれませんね。(笑)
「知」は
生きていくうえで必要な栄養であり、
「知ること・学ぶこと」は栄養補給。
そして、それは
未来への選択肢を増やすことになり、
同時に自分自身を守り、助ける力となる。
…そんな風に思うのです。
振り返ると大変な1年だったけれど、
自分自身の「知的好奇心」に
救われた1年でした。
来年は笑顔になることが
いっぱいあるといいなぁ。
何事も楽しい側面を見つけて
明るい気分で1年を過ごしたいです。
いやぁ。
それにしても。
北極って大陸じゃないのね…。
そして。
北極にペンギンはいない!
衝撃の事実。((+_+))