「手直し」の連続2025/06/03

唐突ですが、皆さんは絵を描きますか?
ご存じの通り(?)私は、
音楽と同じくらい美術も大好きなので、
没頭できる趣味の時間として、
絵を描いたり、モノを作ったりします。
(※本日の写真は、数年前に、
今は亡き愛犬を描いたクレパス画)

いつものことなんですが、
絵を描く時に起きること。

白紙の状態からある程度の形になり、
「よし、こんな感じかなぁ~」と
全体像がハッキリしてきて、
そろそろ終わりかな?と思えてから、
ここから先が…

長い。(;´Д`)
終わらない!!!

ここはもう少しこうして、
あ、ここも描き足して、
あと、ちょっと濃くして…
と、手直し、手直し、で終わらない。
やめられない、止まらない。(笑)

まぁ、最終的には
自分自身を納得させ、
仕方なく(?笑)自己満足感を得て、
これで完成→終了と
なるわけですが。

芸術には、これが正解という
「完成形」がないので、
考えれば考えるほど、
違った解釈がみえてきたり、
他の側面が見つかったりする。
そして、想いや雰囲気を伝えるために、
表現をより深く追求してしまう。

いやぁ~、ホント、
終わりは無いのである。

***

ピアノの演奏もまた然り。

曲の譜読みが済んで、
両手の合わせが何とかなってくると、
弾き込む段階に入り、
練習を重ねればその分スムーズになり、
曲の形(全体像)が見えてきますよね。

レッスンでは、そこから先、

・間違っている箇所や
 不充分なことを指摘してもらう
・弾きにくいところの弾き方を修正、
 アドバイスをもらう
・自宅練習(復習・予習)の仕方や
 コツを教えてもらう
・表現力豊かに仕上げるポイントを
 一緒に掘り下げる

といった内容になってくるかと思います。
そして、ここからが
「終わりなき芸術の旅」への出発です。
そう!「より良く」という名の
「手直しの連続」が始まるわけですね。

練習してどうにか弾けてきた箇所なのに、
レッスンの際に、
指摘を受けたり、直されたりすると、
「せっかく家で弾けるようにしてきたのに」
「えー!そんなこと追加したら弾けなくなる」
という気持ちになったことありませんか?

でも、これは、
アナタの演奏を「より良く」するために
お伝えしていることです。
ここまで出来たからこそ、
次の段階のアドバイスをしています。
そして、これこそが
「レッスンを受ける」ということなんです。

絵を描く時もそうですが、
すでに描きあがっている一部分を消して、
もう一度描き直す時は、
勿体ないような、怖いような、
そんな気持ちになります。
良くなるためといえ、
壊して作り直すって勇気がいりますよね。
その気持ちは私にも理解できます。

でも、だからといって、
「後から手直しするのは負担なので、
始めから最終形を教えておいてください」
↑これは違うと思うんです。

音楽という芸術。
「ピアノ演奏」という形を用いて、
私達は表現をしているわけです。
そこには、それぞれ感性の違いがあり、
表現できる術(テクニック)にも差があり、
込められた想いも違います。

レッスン時に私がアナタのそれを
完全に理解することなんてありえないし、
曲を弾き進めるうちに、
解釈や想いが変わることもあります。
上達したらできることも増えるわけで、
状況は常に変化していますよね。

何が正解か、何ができればOKか、
どう弾ければ完成なのか、
明確に終わりを決められないんです。
ゴールは存在しないんです。


『不完全だからこそ
無限の可能性がある』


こう思ってみましょう。
尊いことだと思いませんか?

***

不完全であることを、
「学び続けることができる喜び」
として柔軟に受け入れ、
楽しんで「手直し」しまくりましょ!(笑)

皆さんの「終わりなき芸術の旅」、
ワタクシがお供いたします~。(*´ω`*)

その「存在」に気付けるか?2025/05/15

そこに確実に「存在している」のに、
それにまったく気が付かない。

こういうことって案外多い。
そこに「ある」ものを、
まるで「ない」かのように過ごしている。
もしくは、
「あぁ、あるね」と認識はしているものの、
きちんと把握しているか?と言ったら、
実に曖昧だったり…。

これは脳がもつフィルター的な機能が
働いているために起こる現象。

普段、私たちは物に囲まれ、
音に囲まれ生きています。
目を開ければあらゆる物が視界に入り、
会話、BGM、電子音、風の音まで、
周囲の音も勝手に聞こえてきます。
脳が、その膨大な情報のすべてを
瞬時に処理するのは不可能なため、
「これは必要、不必要」と
自動的にフィルターにかけて
振り分けてくれているんですね。

知りたい情報が目に留まりやすくなる
「カラーバス効果」や
特定の音や言葉などを
選択して拾い上げ聞きとれる
「カクテルパーティー効果」は
脳が起こす現象として有名なので、
ご存じの方も多いかと思います。

私達が脳をパンクさせることなく、
日常生活を送れているのは、
この機能があるおかげ。
脳みそ、すごい!ヽ(゚∀゚)ノ

***

先日、里山を自然散策してきました。
春風が心地良い絶好の散歩日和。
時折、設置されている「熊よけの鐘」を
カーーーーン!!と鳴らすと、
豪快な鐘の音が響き渡る。
でも、その音以外は本当に静か。

里山に咲く花々を見ながら、
「何か生き物いないかな~♪」と
山道を登っていると、
たまに足もとで、自分のものとは違う、
カサ…という音がすることに気付いた私。
「ん?何かがいる!」
立ち止まり目を凝らすと、
そこには慌てて逃げいくカナヘビさんが。
日向ぼっこの邪魔してごめんね。
爬虫類も大好きな私としては、
この出会いだけで幸せ気分~。(*´ω`*)

アチコチで野鳥も囀っています。
自宅周辺では聞くことがない
ホオジロやヤマガラ。
相変わらず賑やかなガビチョウもいるし、
コゲラもギィーと鳴いています。
鳴き声がするほうの木々に目を凝らすと、
次々に確認できるその可愛らしい姿。

そんな中、一瞬わずかに聞こえた
「ピョー」という音。
「いる!!アオゲラ!」と大興奮。
しばらく音に集中しながら歩いていると、
だんだんと鳴き声が近づいてきて、
その姿を見つけることができました♪
くすんだ緑色の背中&翼で、
頭に赤いベレー帽をかぶった
30cmくらいの大きさのキツツキです。
出会えると嬉しい大好きな鳥の1つ。

同じ瞬間に同じ里山を散歩していても、
生き物に対して興味がなく、
まったく意識していなかったら、
カナヘビもアオゲラも、
見つけることはないのだと思います。
足元のカサ…という音も、
遠くで聞こえた鳥の鳴き声も
脳が「その音は必要ではない」と
判断すれば、その結果、
耳には届いていてもそれは聞こえないし、
自分の目でその姿を捉えることもなく、
その存在は確実にそこに「ある」のに、
認識されないまま、
「なかったこと」になるわけですね。

***

同じようなことが
ピアノの演奏中にも起きています。

楽譜通り弾いているんだから、
正しく演奏できているはず。
うん、音楽になっているよね?
よし、弾けた。これでOK!
…と思ってしまいがちですが、
どうでしょう?
果たして、深いところまで
音(音楽)を認識できているでしょうか?

実は、演奏時にも脳みそは自動的に
フィルター機能を使っています。
聴こえやすい一番上のメロディを
「この音は重要」と、無意識に選別して
聴いていたりするのです。
もしかしたら、そのすぐ下の内声にも、
まったく別の美しい旋律が
流れているかもしれないのに、です。
その存在に気付き、
意識してそれを聴こうとしないと
脳はメロディとして認識してくれません。
つまり、打鍵は正しくおこなっているので、
「音」としては鳴っているし、
聞こえているはずなのに、
認識はできない(聴こえていない)、
という現象が起こるわけですね。

楽譜通りに音を鳴らせられれば、
その状態を人によっては、
「弾けた」と言ってしまうのかもしれません。

しかし、演奏している本人が、
主旋律の下に隠れている別のメロディや、
曲の流れを引っ張るバス(ベース)の流れ、
支えてくれている和音の変化などに
まったく気が付かず、
音楽として聴けて(捉えて)いなかったら、
それら特定の音を際立たせたり、
美しく表現することなんて
できるはずがありません。

「奥深さ感じる演奏」
「情景が浮かぶような演奏」
と言われるような
表現力豊かな演奏を目指すには、
”存在している音への深い認識”が
欠かせないのです。

難しいことのように思えるでしょうが、
大事なのは、まず、
自分の「認識の範囲」を
意図的に広げてみること。
普段、練習で弾いている時に、
自然と聴いて(聴けて)いる音の他にも、
実は多くの大切な音が存在しています。
それらが和音を構成したり、
連なって旋律として流れているわけです。
そのことに気が付き、
意識的にそれを聴こうとすること、です!
たったこれだけで、表面的な演奏から
一歩脱することができます。

大丈夫!(゚∀゚)ノ
「ほら、ここにもメロディがいますよー」とか
「この音の存在に気付いてますか?」とか、
私もレッスンで伝えますから、
そのパートだけを抜き出して
歌ってみたり、弾いてみたりしてください。
その存在が一気に浮かび上がり、
今までと違って聴こえてきますよ。

たったこれだけで、
音楽が一層味わい深いものになります。
そして、それは少なからず
演奏にも反映されるから不思議です。

そんな風に考えると、
「人生も、音楽も、一緒だなぁ~」
なんてしみじみ思う今日この頃。
(え?飛躍しすぎだって?笑)
普段、そこにあるのに
気にも留めていないその「存在」に
どれだけ多く気が付くことができるか。
そして、それに感謝したり、
味わったり、楽しんだり…。

そこにある、その存在に気付いて、
意識を向けるようにするだけで、
認識できるようになる。

これが人生や音楽を
豊かにする秘訣なんですね、きっと♪

交流してこその「交流会」2025/04/26

私は、
「交流会は発表会ではない」と、
第1回の開催時から
しつこいくらいに言い続けています。
「はいはい、知ってる。また言ってるし」
と思われていますね、きっと。(苦笑)
単純に「言葉のチョイスの違い」として
さほど気にも留めていない方も
多いかもしれませんが
これには私の深~い想いがあります。
「またか…」
という気持ちをぐっとこらえて
読んでくださると嬉しいです。

***

『発表会』とは
文字通り「発表の機会」です。
一般的には、(生徒である学習者が)
「個人の学習の”成果”を
具体的に発表という形で示す機会」
と、されています。

成果、成長、上達…
これらを自分が感じられることは、
もちろん意味があり大切なことです。
やる気や向上心に繋がりますしね。
しかし、これらのことは、
自分(本人)が感じられれば充分で、
大人が趣味でピアノを楽しむ場合、
「他者に向けて、それ(成果)を
発表することは必ずしも必要ではない」
と、私は思うんですよね。
経験年数も、練習環境も、年齢も、
本気度(熱量)も、音楽ジャンルも、
すべてがバラバラに違うので、
演奏を「成果の発表」として
他者に聴いてもらわなくても
良いのではないか?と思うのです。

自分自身の成長は、
自分で確認できれば良いですし、
何だったら、成長なんてしていなくても
ピアノを楽しめているならそれで良し!
だとも思うのです。(´▽`)ノ

※もちろん
 「成果を発表するための演奏」を
 否定するものではありませんし、
 その意気込みで参加するのも
 大歓迎ですよ!

他者から、演奏の感想として、
「すごい上達っぷりですね!」
「成長しててびっくり~」など、
日頃の成果と思われる事柄を
伝えられることもあると思いますが、
それが嬉しく思えるなら
素直に「わーい」と受け取れば良いし、
評価されたように感じるなら、
「別に”発表”したわけじゃないし~」と、
心の中で受け流してしまえばOK。(笑)
あくまで「自分自身」に焦点を当てて、
各自、参加していただきたいのです。

***

大人の趣味ピアノには
「発表会」が必要ないと思うのに、
ではなぜ、「交流会」という名前で
「人前で演奏する」という
似たような紛らわしい会をやるのか?

それは、
「人前で演奏すること」自体に
大きな意味があるからです。
個人の「成長の発表」が主目的ではなく、
『人様の耳に音楽を届ける』
という視点から丁寧な気持ちで練習をし、
演奏する機会を持ってほしいから。
↑これが理由です。
人前での演奏を想定して練習をし、
楽曲を仕上げることは、
1人で練習して完成させる時とは違い、
より深くその曲を学ぶことになります。
これこそ、学習者の「音楽的成長」に
大いに繋がると私は思っています。

そして。
私が「交流会」を開催する
主たる目的は、その名の通り、
交流を深めてほしいから、です。

同じ”ピアノ学習仲間”として、
「ピアノ演奏」という
ある種の「共通言語」を用いることで、
 ・音楽の素晴らしさ
 ・趣味で弾くピアノの楽しさ
 ・大人が学習するということ
 ・練習の大変さ、継続の難しさ
 ・Studio*ABE*で仲間ができたこと…
これらの想いを共有してもらいたいな、
と思うわけです。
「あぁ~、やっぱり音楽ってイイよね!」
「人前だと緊張するし難しいけど、
ピアノって楽しいよね~」と。

だからこそ、私としては、
初心者~上級者の誰もが参加できて、
”連弾”というスタイルでダイレクトに
音楽的なコミュニケーションがとれる
『交流会ブルース』の時間を
とても大切に思っています。
交流会の趣旨そのものだからです。

もしかしたら、
「自分のメイン演奏(ソロ)があるのに、
連弾なんてやってられないよ」
「ジャズ組が楽しめば良いのでは?」
「好きなジャンルの曲じゃないし…」
「毎年やってるからもう飽きた」など、
色々な想いがあるかもしれません。

でもね、
上手い下手とか上達とかすごいとか、
アドリブできる、できないとか、
そんなのは横に置いておいて、
「ピアノを鳴らして仲良くなろうよ」
「できる範囲で一緒に遊ぼうよ」
という純粋な気持ちから、
交流会ブルースの時間を設けています。
「発表会ではなく交流会」と言い続ける
私の深い想いをご理解いただき、
交流会ブルースも自分事として、
取り組んでいただけることを
心から願っています。

***

さて。
私も準備に取り掛からなくては!!
今年も和やかな会になりますように(*´ω`*)

※担当パート、アレンジなど
 ご相談があればレッスン時にどうぞ!

譜読みの冒険のススメ2024/07/18

CDやレコードの『ジャケ買い』。
この言葉、今でも通じるのかな?

中身のことをよく知らない状態で、
ケースやパッケージのデザインだけ見て、
興味をそそられたモノを買うこと。
「このCD、ジャケットのデザインが
かっこいいな~。お洒落だな。
何だかよく知らないアーティストだけど、
よし、買って聴いてみよう~!」
って感じのことである。

まぁ、CDが主流だった時代に
タワレコやHMVに行き、
CDを買っていた世代ならば、
誰しも1度くらいは
経験があるんじゃないだろうか?

家に帰り、ワクワクしながら再生し、
アルバムに収録されている音楽を聴く。
自分の好みにピッタリな音楽で、
アルバムを丸ごと気に入る場合もあるし、
耳馴染みのない雰囲気の曲に、
ほぉ、へぇ~っと新鮮に感じることもあるし、
聴き始めは特に高評価じゃなかったのに、
後にジワジワと好きになるものもあった。
もちろん、まったく好みじゃなくて、
買って失敗…と思うこともある。(笑)

お小遣いやバイト代から
自分の意思でお金を払って、
どんな曲がまったく知らないCDを買い、
それを聴いてみる。
これって、ちょっとした冒険だ。
「ジャケ買い」ではなかったとしても、
お目当ての1曲があり、
その曲が収められているCDを買うと、
アルバム内に収録されている
興味の無い(知らなかった)別の曲まで
もれなく聴くことになる、という
「プチ冒険」くらいなら、
当時はごく普通のことだった。

これらの冒険が、
私の音楽の世界を広げてくれた。
自分では選ばなかったであろう曲、
知らないタイプの曲、
”食わず嫌い”ならぬ、
聴かず嫌いしていた曲、などと
出会わせてくれたのだ。

似たようなことを
ピアノの曲選びや譜読みで
感じることがある。

小さい頃、
「次からこの曲(or曲集)をやるから
楽譜を用意して練習してきなさい」と
ピアノの先生に言われ、
楽譜を用意して、
まったく知らない曲の譜読みをスタート。
ワクワクしながら手探りの状態で、
つっかえつっかえ弾いていき、
練習するうちに曲の全貌がみえてきて、
「わぁ~こんな曲なのか!」と
その曲との出会いに感動したものだ。
自分で弾いてはじめて、
「おぉー!なんだ、この響きイイ!」
とか大興奮しながら、譜読みをしていた。
だから、私は新しい曲に入る時の
譜読みの作業が大好きになった。

もちろん、弾いてみて、
「なんだ、この曲。つまんなーい(-_-)」
と感じることもあったけどね。
それでも、次のページはどんな曲だろ?と
まだ指示されていない先の曲も、
勝手にちょこっと譜読みをしたりして、
ワクワクがとまらなかった。

***

お金を出して買ってみて初めて聴く曲。
楽譜を開いて音を鳴らしてみて、
譜読みしながら知っていく曲。

2つに共通するこのワクワク感、
貴重だなぁ~と思う。

今は、何でも気軽にすぐ聴ける。
お試しで聴けることも多いし、
検索すればyoutubeなどで聴けたり、
似たようなタイプの曲や
自分好みのものを勝手に選んで
提示してくれたり…。

世の中が便利になったからなのか、
余裕のない人が増えたのか、
「無駄に思えること」や
「遠回り」はなるべくしたくないし、
早く答えや成果が欲しい、と
思う人が多くなったように感じるのだ。
だから、「知らない曲」を
1から譜読みすることを嫌い、
自分のよく知ってる好きな曲をやりたがる。
完成形を知ってる状態で
練習に取り組みたい人が増えた。
仮に、知らない曲をやることになっても、
まずyoutubeとかで曲を検索して、
どんな曲なのかしっかりと聴き込んじゃう。

確かに、
それで時間は省略できるのかもしれない。
「残念な出会い」も避けられるのかもしれない。
耳から入る分、譜読みをするのも楽になる。
どうかすると、弾き方のコツや
曲の解説まで探せるんだから、
そりゃ、魅力的だよね。
メリットは私も認める。
でも、踏み入れたことのない世界に
歩みを進めていくような
ドキドキ・ワクワク感はそこにはない。

「冒険」で得られるあの感覚、
そして、手探りの状態から
譜面と対峙した経験値は、
決して無駄な(余計な)時間ではなく、
大きな大きな音楽的財産となることを、
ぜひ知っておいてほしい。

***

ってことで!
たまにはゴールのわからない
音楽の旅にノンビリ出てみよう~!
「曲ありき」で選ぶのではなく、
あまり耳馴染みのない知らない曲を、
冒険するつもりで1から譜読み、
始めてみてはいかがかな?

交流会も終わったことだしね。
ちょっと気分を変えて。
遠回りしたっていいじゃない♪

譜読みの冒険、おススメします。



交流会後のアンケート、
全員分がまもなく出揃います。
まとめた記事は次回になるかな?
もう少しお待ちくださいね。

上達しているのに下手になった2024/07/01

今日のブログは、交流会での
自分自身の演奏の振り返り。
頭の中を整理整頓するための
独り言に近いので、特に意味はなし。
心配無用です。お気遣いなく~。(;´Д`)

***

・自分にとってレベル的に
 無理のない曲を選んでいる
・質の良い練習をしっかりと重ね、
 自分自身で納得ができていた
・自分の演奏に自信も持てていた
・白紙状態から五線に楽譜が書けるくらい
 みっちり細やかに暗譜もおこなった
・緊張対策は「これでもか!」というくらい
 例年以上に念入りにおこなっていた

…で、あの演奏。あのザマ。

どうした?私。
何がどうなったのか?まったく不明。
弾いていて、とにかく頭が回らず。
集中できず。

緊張のせい?
うーん。確かに緊張はしていた。
でも、決して悪い緊張感ではなかった。
おととしの交流会の講師演奏で、
緊張のあまり酸欠&過呼吸で
顔面蒼白になりながら
クラクラ&フラフラで弾いた時より、
よっぽど落ち着いていた。
重心は低く保てていたし、
指の上滑り感もないし、震えもなかった。

なのに、なんだろう?
とにかく、まったく集中できず。

これは、一体どういうことか?
唯一思い当たるのは、
緊張対策として交流会の1ヶ月前から
たびたび足を運んでいたストリートピアノ。
毎回、口から心臓が出そうなくらい
ガチガチに緊張しながら弾いて、
でも修行(?)の回数を重ねるうちに
落ち着いて弾くための糸口を見つけ出し、
少しずつ「できる」を積み重ね、
そして…、
交流会の10日くらい前の段階では、
自分でも「よっしゃ!!」と思える
納得のイイ演奏ができるようになっていた。

で…
それが最後になってしまったような…?

うぅーーーーん。(-_-;) これって、
・そこが頂点になってしまった
・その状態がキープできなかった
ということなのか??
むむむー。謎。

今回のようなことはまったく経験がなく、
自分でも何が起こったのか?
イマイチわからない。

***

今は、
『上達しているのに、下手になった』
こんな感じ。複雑な気分。

というのも、恥ずかしながら
私のピアノ人生、
~20歳までは超テキトー。(遊び)
20~30歳までは「仕事」として、
過不足なく卒なくこなし、
30~40歳までは音楽の幅を広げ冒険。
「ピアノが大好き」な気持ちは、
幼少時代から変わっていないけど、
どちらかというと、
気の向くまま好き勝手に
ピアノと接してきたって感じ。

そして今、40歳~現在。
ようやく”本気”を出して
ピアノと向き合っている。
北海道から帰ってきて、
ピアノ教室を再開してからのこの10年、
生まれ変わるくらいのつもりで、
ピアノに関連すること
(奏法、指導、理論、心理、身体など)を、
本気で練習し、勉強し、取り組んできた。

その結果、
自分で言うのもなんだけれど、
「私はまだ上達している」と感じられている。
もちろん、スタートが低かったので、
「伸びしろがまだ余ってる」とも
言えなくはないけど。(汗)
『継続は力なり』を合言葉に、
自分なりに10年続けた結果、
「上達した」という実感を得ているのだ。

苦労した曲が弾けるようになり、
到底無理と思っていた曲に手が届き、
長時間弾くと痛くなりがちだった手が
いくら弾いてもまったく痛くなくなり、
格段に音のグラデーョンが豊かになり、
技術、表現、音色、知識、精神…
あらゆる面で、
音楽の幅が広がったのは明らか!

なのに、あのザマ。

講師演奏をまともに1曲、
弾ききれなかった。
あれほどやって満足に弾けないって、
一体どういうこと?
集中できないって何?
はぁ?(゚д゚)?
ってのが今の率直な気持ち。

学生の頃、ピアノの実技試験なんて、
今の10分の1も頑張らなかった。
20代の頃の講師演奏なんて、
「ま、形が整っていればOKでしょ」
程度にしか考えていなかった。

曲に対する想いも、取り組んだ時間も、
勉強する深さも、最終的な仕上がりも、
今に比べたら笑っちゃうくらい
チャランポランだった。
弾くのに不安で怖い箇所などは
「いかに誤魔化すか」を考え、
そのための練習をしたくらいだ。
なのに、
あの当時はそれをサラリと弾いて、
緊張したとしても何とか形にしていた。

謎。
上達しているのに下手じゃん、
今の自分。

「落ち込んでる」「悔しい」とかじゃない。
とにかく不思議。で、自分に呆れてる。
怒りにも似た感情。
「あんなにやったのに。もう知らん!!」
って感じ。投げやり。(笑)

コロナ前の講師演奏、ナザレーや
「大洋のエチュード」をピークに、あれ以降、
人前での演奏が超不安定極まりない。
交流会を外で開催するようになり、
不慣れな会場で「会」を成立させるために、
当日に、セッティング・司会進行しつつ、
皆の演奏を見守り、写真撮影など、
私にとって、精神的・肉体的な負担が
大きすぎるんだろうか??
(無自覚だけど)

交流会後、家で夫に、
ブツクサとこのことを話していると、
「えー!あんなに弾けてたのにー!?」と、
気の毒がられた後に、ひと言、
「老化ってことも無くはないんじゃない?」
と言われた。

えーっと。
無くはない…

つまり、「ある」ってことか?(苦笑)


そうか。


老化ねぇ。
そうなのかもしれない。
何だか、急に気持ちが萎えた。(笑)

***

そんなわけで、
「私はまだ上達している」
という感覚が妄想ではないと信じ、
老化に抵抗しながら、
引き続きピアノ道に精進いたします!
せっかくハゲもストップし、生えに転じ、
カツラ生活もようやく脱したわけだし、
(まだまだ無毛地帯だらけなんだけどね)
これ以上、気に病むのはやめよう。

多めにお休みを頂いた7月。
のんびり作曲でもして、楽しもうっと♪



交流会に参加された方は、
7月レッスン時にアンケートの提出を
忘れずにお願いいたします。

皆さんの演奏に拍手!2024/06/25

交流会に参加された皆さーん、
お疲れさまでしたーーーー!!!

今年も皆さん、どの方も
それぞれに素晴らしい演奏でした。

難易度の高い曲に挑戦された方、
ひたすら音色にこだわり追求された方、
自分の納得できる演奏を目指した方、
日々お忙しい中で仕上げられた方、
色々な方がいらっしゃいましたが、
どの方も本当に見事な演奏でした!

お1人お1人の演奏が始まるごとに、
ハラハラドキドキ「頑張れー!」と
応援しながら見守っていましたが、
その堂々とした弾きっぷり、や
丁寧に大切に曲を弾く姿勢を見て、
そんな心配はどこへやら
って感じでした。(*´ω`*)

今年は、
クラシック寄りの選曲が多かったので、
そんな中、ジャズ楽曲は
ひと際魅力的に感じましたね~♪
毎年お馴染み「交流会ブルース」も、
今年は”ちょこっとフェイク”に
トライしてくれた方が多くいらしたので、
いつもに増して一層楽しく思えました。

クラシックに関しては
難易度が高めの中級以上の曲や、
ボリュームのある曲(長い曲)を
選ばれた方が多く、
とても聴き応えがありましたよね。
連弾も華やかで、
魅了されたのではないでしょうか?
4期すべての時代から選曲があったので、
バラエティに富んでいました。
いや~、こんな豪華な演奏会、
なかなか無いですよ!(笑)

皆さんが弾き手として、
それぞれに楽曲と真摯に向き合い、
丁寧にしっかりと仕上げられたこと、
そして、聴き手としても、
温かく優しい気持ちで
ステージを見守ってくれていたことで、
あの雰囲気は生み出されるのだと思います。

毎年、「交流会」が、
素晴らしい音楽会として成り立つのは、
生徒の皆さんのおかげです。
心より感謝申し上げます。

さぁ、これでひと区切り。
また、来年の再開を楽しみに、
各自練習に励みましょーーーう!


アンケートは7月レッスン時に
提出です。お忘れなく!

スマホ修理のため、
メールの返信が26日以降、
滞る可能性があります。

***

会の締めくくりとしての講師演奏は、
お粗末なものをお聴かせしてしまい、
自分自身に呆れかえっております。
穴があったらとっとと入って、固く蓋して、
消えてなくなってしまいたい気持ちです。

今は、色々と思うことがあり、
まだ思考がまとまりません。
現実を受け止め前に進み出すためにも、
また改めて記事にしようと思います。
打ち上げの席でも、
皆さん、さすがに私の演奏について
何も触れられないですよね。(汗)
気を使わせてしまい反省しています。

こんな先生ですが、許されるなら、
今後も皆さんの上達と音楽的成長を応援し、
お手伝いしていきたいと思っております。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

踏む以上に難しいかも2024/06/04

中学生くらいまでピアノを習って、
ある程度のレベルに達していた人は、
何となくペダルも踏めるようになっていた、
という人が多いと思います。
発表会で弾く曲や、練習曲の一部で
かつてペダルを踏んだことがあった、
とまぁ、そんな理由からかな~?
と推察します。
きっと当時、ピアノの先生から、
「この記号(マーク)のところで
一番右のペダルを踏むのよ」と
教えられたことでしょう。
…そう。
言い換えると、先生は
「これくらいしか」教えてくれていない。
教えてもらったことと言えば、せいぜい
「打鍵した後に踏む」くらい?
思い起こせば、私自身も
そんな程度にしか教えてもらっていない。

子供のピアノレッスンは、
通常、基礎から学んでいくので、
ソナチネ、ソナタなどの古典作品を
勉強するあたりで中学生くらいになり、
多くが受験などを理由に
ピアノを辞めてしまいます。
つまり、本格的に(=全体的に)
ペダルを使うタイプの曲に入る前に
みんな辞めてしまうってわけ。

そんな流れもあるので、
ペダルを踏んだことはあっても、
その扱いについて丁寧に細やかに
教えてもらう機会はなかった、としても
まぁ、不思議ではないんですね。

で。
そんなピアノ経験者たちが、
大人になりピアノレッスンを再開し、
弾いてみたいピアノ曲は…となると、
多くの人が、ショパン(ロマン派)や
ドビュッシー(印象派)のような作品。
クラシックじゃなくても、
久石譲さんや坂本龍一さんのような
綺麗系、穏やかな曲調、優雅な作品を
希望する人が大半を占めます。
つまり、初めから終わりまで
ふんだんにペダルを使うタイプの楽曲。
これが圧倒的に人気なんですね。

***

今や動画サイトを探せば、
ピアノ系のチャンネルもあるので、
「ペダル」についても、
「このマークのあるところで、
打鍵したらその直後に踏みますよ~」
「濁っていないか音をよく聴きましょう」
と教えてくれているものもあります。
それを見て、「ふむふむ」と練習して、
それなりにペダルを踏めるように
なるのかもしれないです。

が、しかーし!
ここに落とし穴が!(゚д゚)!
「戻す(ペダル上げる)」ことに関しては、
あまり詳しく言及されてない、ということ。

…というのも、
「戻す」作業はあまりにも繊細で、
ペダルがかかったその響きの終わりを
耳で判断&調整しなくてはいけないから、
文字で伝えることは到底無理だし、
画面越しの動画でもかなり困難!
そんな理由もあって、
対面レッスンでしか伝えられないから、
あまり言及されていないのか??
と私的には思っています。

しかし、踏むことと同じくらい
もしくはそれ以上に、
 ・戻すタイミング(いつ上げ始めるか)
 ・戻していく際の速さ
 (どのくらいの時間をかけて上げきるか)
は大事なポイント!!!

ペダルは「踏んで終わり」なわけでななく、
ペダルのかかった音を終えること、
(=ペダルを上げて最終的な音の処理をする)
も、意識して行なう必要があるんです。
ペダルをかけたら、その音の行方は、
手ではなくアナタの足にかかっています。

「記号が切れたところで上げてます」
「お花みたいな印のところで上げてます」
ペダルってそんな簡単なものではありません。
「踏む」ことには、ある程度気を使うのに、
「戻す」ことには無頓着になっていませんか?

もしも、ペダルを使って
曲の仕上げに取り掛かっているのに、
「なんだか響きがイマイチな気がする」
「印のところで踏んで&上げているのに」
「なんでピアニストの音はあんなに綺麗なの?」
そんな風に感じる時は、ひょっとすると
アナタのペダルの戻すタイミングや
戻すスピード(上げ方)などに
問題があるのかもしれません。

ぜひ気にして練習してみてくださいね。
ペダルを上手く使えるようになって、
自分のイメージする理想の音色や
表現力を手に入れましょう~(*´ω`*)

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