「仕上がり」を受け入れる ― 2020/08/30
ピアノって終わりがない。
曲を決めたら譜読みを開始して、
片手やって、両手やって、
何となく音を追えるようになってきて、
ゆっくりゆっくり繰り返し弾いて、
それでも弾けないところがあるから
部分練習とかして、
そのうちそれっぽく通せるようになってきて、
テンポ感もいい感じになってきて、
強弱とか緩急とかをつけたら
雰囲気も出てきて…
さぁ、仕上だ!
っと、ここから先が長いのである。
そう簡単には仕上がらない。
ってゆーか、そもそも
「仕上げる」とか何なのか?
どういう状態を「仕上がった」というのか?
なんて考えはじめると、
もう、永遠に終わりなどやってこないのだ。
(だからこそピアノは面白い!)
だいたい音楽に
「完璧」なんてものはない。
「名演」と言われるものはあるけど、
「これが正解」というものもない。
同じ曲を仕上げるにしても、
1人1人体格(手の大きさなど)は違うし、
できること、得意とすることも違う。
曲に対する解釈や感性が違えば
表現の仕方が異なるのも当たり前。
つまりゴールは決まっていないということ。
じゃぁ、一体いつ終わりにするの??
って話しになる。
ピアノ演奏において完璧など存在せず
間違えなかった=良い演奏、とも限らない。
それならば、
練習している曲を「はい、マル!(終了)」
とするタイミングは一体いつなのか?
私自身の話をすると…
自分の学習として練習している場合、
その曲の仕上がり度合いを
『自分が受け入れることができたら終了』
としている。
では、生徒さんに対しては?というと、
その時点でその人が持っている実力を
曲の中で充分に発揮し、
その人ができる範囲内で
『学ぶべきことを習得できたら終了』、
としている。
なので、
その生徒さんの実力と
練習している曲のバランスによって
仕上がり具合は当然違ってくる。
余裕のある仕上がりで
ミスなく美し~くまとまる場合もあるし、
逆に、必死に音をおって、
何とか最後までたどり着けた!フゥ。
という場合もある。
ちなみに、私(先生の立場)としては、
実力に見合った選曲をし、
「音を鳴らす」ではなく「音楽を奏でる」を
目指して頂きたい、と常々思っている。
だけど、
「憧れの○○が弾きたい!」
「難しいのは百も承知。だけど挑戦したい」
という気持ちも充分理解できるので、
そういった方の夢を叶えるお手伝いも
もちろんしてあげたい、とも思うのだ。
ところが。
ところが、である。
「憧れの○○が弾きたい!」
という言葉の裏には
こんな言葉が隠されていたりするのだ。
・「弾きたい」ではなく「弾きこなしたい」
・手本となる演奏の「あの感じ」に弾きたい
・速いテンポでサラサラ~と弾きたい
・豪快でダイナミックに演奏したい
などなど。
「○○(曲名)を弾く」という言葉には
その曲を「どんな風に弾きたい」が
セットでイメージされていることが多い。
プロのピアニストやコンクール受賞者、
幼少期から練習を積み重ねてきた人が
○○をバリバリ弾いている姿を
youtubeなどで見て、
その弾き姿を自分に置き換えて
ぽわわぁ~~~ん (*´-`*) と
ついつい妄想してしまう。
そして、その曲を練習し始めるも、
一向に譜読みが進まず、
いつまでたってもヨロヨロな感じで、
両手で弾けるようになっても
「仕上がった」とは到底言えない。
う…、違う、こんなじゃない。
何だかガッカリ…。
あります、あります。
いいんです。
私だってあります。
よく妄想してニヤニヤ、
そして現実を知って玉砕してます。(笑)
だからこそ、私自身は
『自分がその仕上がりを
受け入れることができたら終了』
としているんです。
妄想は自由、憧れるのも自由、
挑戦してみるのも自由!!
その結果、
曲に対して実力が伴わなければ、
仕上がりはそれなり、ということ。
どれだけ頑張ろうが、
練習時間を確保しようが、関係ない。
自分の実力が仕上がりに出る。
それだけだ。
この現実を
真正面から受け入れられるかどうか。
で。
問題はここ。
現実を受け入れられない人って、
実は案外多い。
私が「この曲、ここまで形になったし、
そろそろ終了ですね」と告げた時、
「結局、ここは弾けないままだ…」
「満足のいく仕上がりにならなかった」
「どうせ自分には実力がない」
「中途半端で終了かぁ~」など、
ボヤいたり、愚痴ってみたり、
自虐的になること、しばしば。
自分の扱える範囲にない曲を選んだ時は
「へなちょこな仕上がり」になる。
これ当然。
己の現実を受け入れられること、
これもまた実力のうち。
(厳しいことを言うようですが…)
そんな時は、
「でも、自分はよく練習した!
ここに関しては弾けるようになったしな」
「今の私には”ここまで”ってことか。
待ってろ!いつか、やっつけてやる!」
「ふぅ~、挑戦できて楽しかった♪」
こう思えればOK!(´ー`)v
私もたびたび、
憧れの曲に手を付けられたことに、
「それだけでも充分幸せ~」と思いつつ、
「くぅーッ!覚えてやがれ!」と
リベンジを誓っています。(笑)
これは決して、
「楽しければオールOK!」とか、
「今更テクニックの向上なんて無理」とか
「趣味なんだから適当でいいじゃん」
ということではない。
少しでも上手くなりたい、上達したい、
と願うのであれば、
「等身大の自分の姿」、「自分の実力」
を正しく把握することが大事。
勘違いしがちだけど、
難曲を弾いている=上級者、ではないし、
何(曲名)を弾いているか、よりも、
どう弾けているか、を
冷静に見つめることが大事だよ、
という話し。
同じ曲に何度、取り組んだっていい。
3年後、5年後に
もう一度その曲と対峙した時、
今より納得できる仕上がりになれば
それで良いのだ!
そんなワケで私も、
引き続き、ラフマニノフのとある曲を
「どこまでできるか」挑戦中。
分厚い和音も多く手をギュイ~っと広げるし、
スゴクかっこよくて憧れるけど、
あんなの私には弾けっこないよなぁ、
と思っていたこともあり、
まったく手を付けてこなかったラフマニノフ。
ヨタヨタしながらも、
ちょっとずつ形になっていくことに
興奮と喜びを感じつつ、
ピアノが弾けることを
「最高に幸せだ~♪」感じる毎日。
さて。
仕上がるのか?仕上がらないのか?
結果、へなちょこなのか…?
それもふくめ、まだまだ楽しみ。(*´m`*)
***
2020年8月27日
ピアノ調律をお願いしました。
(グランド&アップライト)
スッキリと気持ちの良い状態を
レッスンで思う存分味わってくださいね。
曲を決めたら譜読みを開始して、
片手やって、両手やって、
何となく音を追えるようになってきて、
ゆっくりゆっくり繰り返し弾いて、
それでも弾けないところがあるから
部分練習とかして、
そのうちそれっぽく通せるようになってきて、
テンポ感もいい感じになってきて、
強弱とか緩急とかをつけたら
雰囲気も出てきて…
さぁ、仕上だ!
っと、ここから先が長いのである。
そう簡単には仕上がらない。
ってゆーか、そもそも
「仕上げる」とか何なのか?
どういう状態を「仕上がった」というのか?
なんて考えはじめると、
もう、永遠に終わりなどやってこないのだ。
(だからこそピアノは面白い!)
だいたい音楽に
「完璧」なんてものはない。
「名演」と言われるものはあるけど、
「これが正解」というものもない。
同じ曲を仕上げるにしても、
1人1人体格(手の大きさなど)は違うし、
できること、得意とすることも違う。
曲に対する解釈や感性が違えば
表現の仕方が異なるのも当たり前。
つまりゴールは決まっていないということ。
じゃぁ、一体いつ終わりにするの??
って話しになる。
ピアノ演奏において完璧など存在せず
間違えなかった=良い演奏、とも限らない。
それならば、
練習している曲を「はい、マル!(終了)」
とするタイミングは一体いつなのか?
私自身の話をすると…
自分の学習として練習している場合、
その曲の仕上がり度合いを
『自分が受け入れることができたら終了』
としている。
では、生徒さんに対しては?というと、
その時点でその人が持っている実力を
曲の中で充分に発揮し、
その人ができる範囲内で
『学ぶべきことを習得できたら終了』、
としている。
なので、
その生徒さんの実力と
練習している曲のバランスによって
仕上がり具合は当然違ってくる。
余裕のある仕上がりで
ミスなく美し~くまとまる場合もあるし、
逆に、必死に音をおって、
何とか最後までたどり着けた!フゥ。
という場合もある。
ちなみに、私(先生の立場)としては、
実力に見合った選曲をし、
「音を鳴らす」ではなく「音楽を奏でる」を
目指して頂きたい、と常々思っている。
だけど、
「憧れの○○が弾きたい!」
「難しいのは百も承知。だけど挑戦したい」
という気持ちも充分理解できるので、
そういった方の夢を叶えるお手伝いも
もちろんしてあげたい、とも思うのだ。
ところが。
ところが、である。
「憧れの○○が弾きたい!」
という言葉の裏には
こんな言葉が隠されていたりするのだ。
・「弾きたい」ではなく「弾きこなしたい」
・手本となる演奏の「あの感じ」に弾きたい
・速いテンポでサラサラ~と弾きたい
・豪快でダイナミックに演奏したい
などなど。
「○○(曲名)を弾く」という言葉には
その曲を「どんな風に弾きたい」が
セットでイメージされていることが多い。
プロのピアニストやコンクール受賞者、
幼少期から練習を積み重ねてきた人が
○○をバリバリ弾いている姿を
youtubeなどで見て、
その弾き姿を自分に置き換えて
ぽわわぁ~~~ん (*´-`*) と
ついつい妄想してしまう。
そして、その曲を練習し始めるも、
一向に譜読みが進まず、
いつまでたってもヨロヨロな感じで、
両手で弾けるようになっても
「仕上がった」とは到底言えない。
う…、違う、こんなじゃない。
何だかガッカリ…。
あります、あります。
いいんです。
私だってあります。
よく妄想してニヤニヤ、
そして現実を知って玉砕してます。(笑)
だからこそ、私自身は
『自分がその仕上がりを
受け入れることができたら終了』
としているんです。
妄想は自由、憧れるのも自由、
挑戦してみるのも自由!!
その結果、
曲に対して実力が伴わなければ、
仕上がりはそれなり、ということ。
どれだけ頑張ろうが、
練習時間を確保しようが、関係ない。
自分の実力が仕上がりに出る。
それだけだ。
この現実を
真正面から受け入れられるかどうか。
で。
問題はここ。
現実を受け入れられない人って、
実は案外多い。
私が「この曲、ここまで形になったし、
そろそろ終了ですね」と告げた時、
「結局、ここは弾けないままだ…」
「満足のいく仕上がりにならなかった」
「どうせ自分には実力がない」
「中途半端で終了かぁ~」など、
ボヤいたり、愚痴ってみたり、
自虐的になること、しばしば。
自分の扱える範囲にない曲を選んだ時は
「へなちょこな仕上がり」になる。
これ当然。
己の現実を受け入れられること、
これもまた実力のうち。
(厳しいことを言うようですが…)
そんな時は、
「でも、自分はよく練習した!
ここに関しては弾けるようになったしな」
「今の私には”ここまで”ってことか。
待ってろ!いつか、やっつけてやる!」
「ふぅ~、挑戦できて楽しかった♪」
こう思えればOK!(´ー`)v
私もたびたび、
憧れの曲に手を付けられたことに、
「それだけでも充分幸せ~」と思いつつ、
「くぅーッ!覚えてやがれ!」と
リベンジを誓っています。(笑)
これは決して、
「楽しければオールOK!」とか、
「今更テクニックの向上なんて無理」とか
「趣味なんだから適当でいいじゃん」
ということではない。
少しでも上手くなりたい、上達したい、
と願うのであれば、
「等身大の自分の姿」、「自分の実力」
を正しく把握することが大事。
勘違いしがちだけど、
難曲を弾いている=上級者、ではないし、
何(曲名)を弾いているか、よりも、
どう弾けているか、を
冷静に見つめることが大事だよ、
という話し。
同じ曲に何度、取り組んだっていい。
3年後、5年後に
もう一度その曲と対峙した時、
今より納得できる仕上がりになれば
それで良いのだ!
そんなワケで私も、
引き続き、ラフマニノフのとある曲を
「どこまでできるか」挑戦中。
分厚い和音も多く手をギュイ~っと広げるし、
スゴクかっこよくて憧れるけど、
あんなの私には弾けっこないよなぁ、
と思っていたこともあり、
まったく手を付けてこなかったラフマニノフ。
ヨタヨタしながらも、
ちょっとずつ形になっていくことに
興奮と喜びを感じつつ、
ピアノが弾けることを
「最高に幸せだ~♪」感じる毎日。
さて。
仕上がるのか?仕上がらないのか?
結果、へなちょこなのか…?
それもふくめ、まだまだ楽しみ。(*´m`*)
***
2020年8月27日
ピアノ調律をお願いしました。
(グランド&アップライト)
スッキリと気持ちの良い状態を
レッスンで思う存分味わってくださいね。