交流会?発表会?2021/03/18

2~3月は、指の怪我をはじめ
色々な出来事が一気にドッと押し寄せて
私、クタクタでございました。(;´Д`)
…が、少しずつ落ち着きつつあります。

指は表面的には随分と良くなり、
見た目はほぼ治ったかのように見えます。
とはいえ、内部がまだまだな気配。(汗)
傷のところに何かが触れると、
その角度と強さによっては痛みがあり、
日常生活でもまだ気をつかいます。
あと、寒い日に外出して手が冷たくなると、
ズキーン!ズキーン!と
鋭い痛みが出ることが判明。
これはきっと「取れない痛み」で
この先、毎年冬になると感じるように
なってしまうのかもねぇ。(´・_・`)

でもまぁ、順調に回復してきています!
保護のために巻いていた包帯を
今日から絆創膏に切り替え、
少しずつピアノを弾き始めました。
自分が普段練習するような曲や、
指を寝かせて広げる和音中心の曲は
まだちょっと無理ですが、
単旋律のものや静かに弾く曲なら
何とかなりそうです♪

少しずつリハビリ。
焦らず、しっかり治しますね。
ご心配をおかけしました。

***

さて、本来ならこの時期、
「交流会」のお知らせをするのですが、
新型コロナウィルスの状況は相変わらずで、
緊急事態宣言が発令中の現在。
今年も、「6月の通常開催」は
見送る方向でおります。

小さなホールやサロン、広い練習室などで、
静かに、大人しく、ピアノ演奏を披露し合う
いわゆる『発表会』のような形をとるなら、
行なえないこともないかなぁ、とも思いますが、
果たしてそれが皆さんの希望する
「交流会」の形なのか…。

やはり、感染防止の面から考えると、
互いにワイワイと近況をお喋りし合うことや、
その後の打ち上げ(食事会)は無し、という
形を取らざるを得ないでしょうしねぇ。
うーーーーーむ。
悩むところです。
私自身、
ピアノが弾けていない状態なので
余計になんとな~く後ろ向き。(苦笑)

上記のような
『発表会形式』もたまには良いじゃん!
真面目に取り組んで曲を完成させて
レッスン室ではない会場で弾いてみたい!
披露してみたい。
やってみたーい!!という方も、
実は案外いらっしゃるのかな??

『発表会』を希望する声が多い場合には
ちょっと前向きに考えてみます。
ご意見などがありましたら
レッスン時に聞かせてくださいね。

***

緊急事態宣言が解除されましたら、
4月からの月謝の支払いは
また通常通り「1ヶ月の料金」で
お支払いください。
どうぞ宜しくお願いいたします。

日頃の皆さんのご協力に
心から感謝いたします。(´ー`)

生きた音を届けよう2021/03/31

「お待たせしました○○は軽くほぐしてからこちらの××を振りかけてそちらに置いてあるソースの中からお好みのものをこちらの小皿にとってお料理につけてお召し上がりくださいソースは左から□、△、◎ですごゆっくりどうぞ」

テーブルに料理が運ばれてきたので
ワクワクしていると、店員さんが、
「これでもか!」ってくらいの早口で
マニュアル化された説明を
小さめの声で無機質に一方的に喋り、
料理を置いて去っていった。

「え?え?…何?
ほぐす?ソースが何だって?」

何を言っていたのかさっぱり聞き取れず、
きょろきょろアタフタ。
店員さんとしては、決められた仕事を
こなしただけなのかもしれないけれど、
”適当に扱われた感”が否めない。

皆さんは、こんな経験ないだろうか?

決められた説明文を丸覚えし、
一語一句、間違えたりつっかえることなく
まるでタイムでも競っているかのように
一気に発するこの行為。

言っている内容はもちろん正しいし、
言葉遣いもおかしなところはない。
食べ方もちゃんと教えてくれているし、
数種類からソースだって選べちゃう。
本来なら、「なるほど~(*´▽`*)
じゃぁ、どれにしようかな~?」と、
お客さん側を楽しい気分にさせる説明なはず。

ところが、だ。
この行為といったら
楽しい気分にさせるどころか
マイナスな印象を与えてしまうあげく
伝えたい内容もまったく伝わっていない。

つまり、これは
「相手の存在を無視した単なる作業」
になってしまっている、ということ。
言葉として発せられてはいるけれど、
これらは意味を持たない
「死んだ音」なのだ。

***

実は似たようなことが
ピアノの演奏でも起こっていたりする。

・何度も弾いたので、もう覚えています
・楽譜通りに弾いています
・書いてある音を正しく鳴らしています
・なんなら速く弾くことも可能です

最初から終わりまで鍵盤を見つめたまま、
間違えたりつっかえることなく
一心不乱に一気に弾き切る行為。
呼吸も間合いもあったもんじゃない。
ピアノで演奏することが、
「音楽を奏でる」というよりも
「入力作業」のようになっているケース。
(※テクニック系の練習曲の場合は、
「入力作業」に近いこともあります)

そこにあるのは、
次々と生み出される「音の羅列」だけで、
単なる音の集合体でしかない。
作曲者の想い、楽曲の持つ雰囲気、
伝えたいイメージなど何も無いし、
聴き手に届けようとする意識もない。

私は、音楽を奏でることは、
自己表現のひとつだと思っている。
感情をはじめとする
様々な想いやイメージを
楽曲を通じて「表現」しているのだ。
それは決して、
単なる音の羅列であってはならない。
間違えずに正しく弾けたかどうか、が
最も重要ということでもない。

私たちが素晴らしい演奏
(上手い下手に関係なく)を聴いた時に、
感情が揺さぶられ鳥肌が立ったり、
自然と涙が溢れたり、
心が温かくなったりするのは、
弾き手と聴き手、双方の間に
一種のコミュニケーションのようなものが
存在しているからなのだ。

弾き手は「音」に命を吹き込み、
大切に、丁寧に、聴き手に届けようとする。
聴き手は全身でそれを浴びて、感じる。
「音楽」ってこういうものだと思う。


あなたの音は生きていますか?
相手の存在を無視していませんか?

***

この問いを、
Studio*ABE*の生徒さんにだけでなく、
あの店員さんにも投げかけたい!!
そう思わずにはいられない
ワタクシなのでした。(笑)